「ジョン・マカリスター・スコフィールド」の版間の差分

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[[1868年]]、ジョンソン大統領は[[アメリカ合衆国陸軍長官|陸軍長官]]を務めていた[[エドウィン・スタントン]]を行政府から追い出し、暫定の後任としてスコフィールドを指名した。スコフィールドは正式の後任となる[[ジョン・アーロン・ローリンズ]]が[[アメリカ合衆国上院|上院]]の承認を得る[[1869年]][[3月]]まで、ジョンソン大統領の下で第28代陸軍長官として職務に就いた。スコフィールドは退任直前の[[1869年]][[3月4日]]に、陸軍少将に任ぜられた。
 
[[1873年]]、第30代陸軍長官[[ウィリアム・ワース・ベルナップ|ベルナップ]]は、[[ハワイ諸島]]においてアメリカがどのような戦略的影響力を持てるのかについて、スコフィールドに隠密調査を依頼した。スコフィールドはおよそ1年をかけて報告書をまとめ、[[真珠湾]]はアメリカにとって戦略的に重要であり、軍港を築く価値があるとした。
 
スコフィールドは[[1876年]]から[[1881年]]まで陸軍士官学校の学校長を務めた。スコフィールドの在任中、[[アフリカ系アメリカ人]]の士官候補生[[ジョンソン・チェスナット・ホイッタカー]]が同輩に攻撃を受けたと主張した。だがホイッタカーの主張は偽りであると申し立てられた。その結果、ホイッタカーは軍法会議にかけられ、士官学校を追放された。その後、この出来事に関して議会が調査を行い、スコフィールドは士官学校の最高責任者としての地位を取り上げられた。