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1963年、山口組三代目若頭、地道行雄若衆だった「田上健一」が殺された事件。
 
山口組と対立する九州一の組織「工藤会」との抗争で、
==概要==
当時工藤会は、若頭「草野高明」を筆頭に(後の草野一家初代総長)北九州を地盤に根付いていた。
[[山口組]]と対立する九州一の組織「[[工藤会]]」との抗争で、
当時工藤会は、若頭「草野高明」を筆頭に(後の草野一家初代総長)[[北九州]]を地盤に根付いていた。
前年の「博多事件」の余韻を残したまま、山口組×工藤会の抗争が新たに勃発。
詳しい内容は、歴史が古い為異なる噂しか無いが、当時の「田上健一」は、若干27歳にして、事務所を持ち若集も
70人程抱え、素人受けの良い人情に満ちた任侠一筋の男であった。
極道史上類を見ない程 壮絶な「リンチ殺人」
指導者であった当時工藤会、草野高明若頭は、この抗争により、後に殺人教唆で10年の刑に服した