「関東大震災」の版間の差分

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190万人が被災、10万5千人余が死亡(あるいは行方不明)した。建物被害においては全壊が10万9千余棟、全焼が21万2千余棟である。地震の揺れによる建物倒壊などの圧死があるものの、強風を伴なった火災による死傷者が多くを占めた。[[津波]]の発生による被害は太平洋沿岸の相模湾沿岸部と[[房総半島]]沿岸部で発生し、高さ10m以上の津波が記録された。山崩れや崖崩れ、それに伴なう[[土石流]]による家屋の流失・埋没の被害は神奈川県の山間部から西部下流域にかけて発生した。特に[[神奈川県]]根府川村(現、[[小田原市]]の一部)の[[根府川駅]]ではその時ちょうど通りかかっていた列車が駅舎・ホームもろとも土石流により海中に転落し、100人以上の死者を出したといわれ、更に村も山崩れにより壊滅したという。
 
文化人で被害に遭ったのは英文学者・評論家の[[厨川白村]]で、鎌倉で津浪に襲われて死んだ。また、避暑に郊外へ来ていた[[皇族]]からも3名の死者が出ており、[[小田原市|小田原]]では[[閑院宮]]御別邸が倒壊し[[閑院宮寛子女王|寛子女王]](17歳)が下敷きとなって死去、また[[藤沢市|藤沢]]で[[東久邇宮家]]の[[師正王]](6歳)が避暑先の別荘の倒壊で死去、[[鎌倉市|鎌倉]]では[[山階宮武彦王]]妃の[[武彦王妃佐紀子女王|佐紀子女王]](20歳)が別邸の倒壊により死去した。
 
なお、[[理科年表]]では、震災後から[[2005年]]度版まで、死者数や倒壊件数などの被害を、現在推定される数値よりかなり多い値で掲載していた。これは震災から2年後に総められた「震災予防調査会報告」に基づいた数値であったが、近年になり[[武村雅之]]らの調べによって、重複して数えられているデータがかなり多い可能性が指摘され、その説が学界にも定着したため、[[2006年]]度版から修正されることになった。