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[[南北朝時代 (日本)|南北朝時代]]、足利方として数々の戦功をあげた。また[[観応の擾乱]]の際、一時丹波にしりぞいた[[足利尊氏]]・[[足利義詮|義詮]]親子をよく守護し、丹波を中心に武蔵国・[[飛騨国]]等に十数か所におよぶ所領を与えられ、丹波国の有力な国人領主となり、[[室町幕府]]の[[奉行衆]]もつとめた。
 
しかしながら、[[明応の政変]]で将軍[[足利義稙|足利義材]]についたことをきっかけに没落し、所領のほとんどを失い、後に義稙が将軍職へ復帰した後も、旧領の回復は果たせなかった。最後は[[明智光秀]]の丹波侵攻によって領主の地位を追われた。
 
菩提寺として、埼玉県熊谷市に[[東竹院]]、兵庫県丹波市山南町に[[長慶院]]がある。