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蔭人 (会話 | 投稿記録)
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== 略伝 ==
[[長安]]の出身(一説では[[成都]]とも)。父の赴任とともに蜀へ移り、14・5歳の頃に任地で父が亡くなり17・8歳頃までに楽籍に入った(伎女となること)。蜀の長官・[[韋皐]]の屋敷に召されて酒宴に侍し、詩を賦して女校書と称せられた。浣花渓にいて、[[白居易]]・[[元シン|元稹]]・[[牛僧孺]]・[[令狐楚]]・[[張籍]]・[[杜牧]]・[[劉禹錫]]などと唱和し、名妓として知られた。なかでも元稹と親しかったという。彼女が作った深紅の小彩がついた詩箋(色紙のようなもの)は、当時「薛濤箋」として持てはやされた。[[王羲之]]の書法を学んだ[[書家]]としても認められ、その一片は宋の宮廷に秘蔵されていたという。晩年は碧溪房に居住し、吟詩楼を建てた。[[段文昌]]の墓誌が残されている。
 
== 詩 ==