削除された内容 追加された内容
32行目:
: 少女時代のあだ名は「'''ビーコ'''」で小浜の人は今もそう呼ぶ。学校内で同姓同名の和田清海と区別するために、「和田A」「和田B」のうち「和田B」に甘んじ、転じて「ビーコ」で定着するようになった。好きなものにはとことんのめり込むが、その性格が災いし、結局うまくいかない損な役回りを演じ続けていた。
: そんな脇役ばかりの人生を変えるため、母と喧嘩し、大阪へと単身飛び出す。偶然出会った徒然亭草若の元に身を寄せるようになり、徒然亭一門と関わる中で自身も草若の弟子として落語家になることを決意。紆余曲折を経て徒然亭への入門が認められ、草若の「若」の字を取り、福井県若狭地方の出身であることに由来した「'''若狭'''」という芸名を与えられた。徒然亭に弟子入り前は草若と草々からは「キーコ(喜ィ公)」「喜六」と呼ばれ、弟子入り後は小草若を除く徒然亭周囲の人物からは「若狭」と呼ばれている。初高座は19歳で演目は「[[酢豆腐|ちりとてちん]]」。少女時代の経験の数々は、当初は辛いとのみ考えていたが、後にこれも落語へ活かされていくことになる。
: 兄弟子の草々に片思いを続けていたが、ふとした誤解から草々が破門になりかけた時に、単身迎えに行ったことがきっかけとなり、両思いに。その後、恋愛禁止期間であった3年間の内弟子修行を終えて草々にプロポーズされ、1996年1月3日に草々と結婚式を挙げた。その後、夫婦の危機を乗り越えながらも、落語家としての成長を続けている。1999年に古典落語を演じていくことに限界を感じ、草若の勧めで自身の半生を元にした創作落語に挑戦している。
; 和田糸子(わだ いとこ) - [[和久井映見]]
: 喜代美の母。福井県北部・鯖江市の出身。旧姓は木野(きの)。劇中の台詞から1951年生まれと推定される。実家は小間物屋。幼い頃に父を亡くし、母一人子一人の家庭で育った。塗箸職人の正典と結婚後、鯖江市に住んでいたが、その後家族と共に小浜市へと移る。
44行目:
: 喜代美の祖母。地元では名の知れた元[[芸者]]で[[三味線]]の名人。粋な性格で当時流行していた[[バブルガム・ブラザーズ]]や[[米米CLUB]]の曲を好んで聞くなど、最新の流行にも敏感。草若に弟子入りした喜代美を見て正太郎の遺言(「ぎょうさん笑え」)を実行するには自分が一歩踏み出し嫌いな事にも挑戦しなければならないと気付き、友人からの依頼を受け三味線を教えるためにスペインへ移住した。旅立つ際草若に、自分が若い頃に着ていた着物を喜代美が高座に上がる時の衣装として託している。また、内弟子修行中の喜代美を励ました。草々と喜代美の披露宴の際は小次郎からFAXで連絡を受け取り急ぎ帰国した。その時はすぐにスペインに戻ったが、1999年に再び小浜に戻ってきた。
: 作法の教育には厳しく、それが後に喜代美が落語家を志すにあたり、綺麗な仕草として生きることとなる。草若は小梅に対して、喜代美の箸使いがうまいと誉めている。
:なお、小梅がスペインへ移住したのは演じる江波のスケジュールの都合(舞台「大奥」出演など)によるもの。
; 和田正太郎(わだ しょうたろう) - [[米倉斉加年]]
: 喜代美の祖父。小梅には「正太郎ちゃん」と呼ばれている。小浜でも数少ない若狭塗箸の名職人。塗箸の修行を放棄して家を出た正典をなかなか許そうとはしなかったが、実は正典に塗箸を継いでほしいという望みの裏返しであったと死の間際に告白する。落語好きで喜代美が落語に興味を持つきっかけを作り、喜代美には「喜代美、ぎょうさん笑え。一回きりの人生や。ぎょうさん笑ろた方がええ。」という言葉を残した。また、正典が小浜に戻ってからいつも正太郎が聞いていたテープは正典が正太郎に塗箸を継ぐことを告げた日に小浜で開かれた草若の独演会(演目は「愛宕山」)を録音したものであり、草若に頼み込んでもらったものだった。そのことが正典や喜代美、そして徒然亭一門に影響を与えた。後にあの世で草若と再会する
:なお、小梅がスペインへ移住したのは演じる江波のスケジュールの都合(舞台「大奥」出演など)によるもの。
; 和田小次郎(わだ こじろう) - [[京本政樹]]
: 喜代美の叔父。正典の弟。正典より3歳年下。堅実な兄とは違い、独身で定職を持たない[[山師]]。いつも失敗に終わるものの儲け話には目がない。その服装は独特なもので派手なアロハシャツを着用し、頭にはサングラスや帽子を身に付けている。<!-- 帽子の種類をご存じの方は加筆願います。 -->彼なりに兄正典にコンプレックスを抱いており、病床の草若にその思いを語って慰められたこともあった。
58行目:
: 鈍感なところがあり、喜代美が自分に対して劣等感を抱いていることには気づいておらず、喜代美を無二の親友だと思っていた。さらに、友春が小学生の頃から喜代美のことを好きだった事や草々に好意を持たれている事にも気づいていなかった。
: 高校卒業後は、大阪で一人暮らしをしながら大学に通っていたが、サークルのOBの誘いがきっかけで芸能界に入り、テレビのお天気キャスターなどの仕事をしていた。出会った当初は草々を面白い人と感じただけで、あまり興味を持っていなかったが、草々の落語を聞いたことがきっかけとなり、後に相思相愛となる。しかし、東京でニュースキャスターをする仕事が入り、悩んだ挙句に大学を休学して東京行きを決意。転居の直前に、喜代美と互いの本心を語り合い、東京へと旅立った。しかし、担当していたニュース番組が半年で打ち切りとなり、その後は消息不明となっていた。
: 1996年の冬、ついに小浜に戻ってきたが、その表情は東京での生活を反映して荒んでいるなど、昔とは性格が一変している。小浜に戻ってきた時に海岸で光るきれいな石のペンダント(かつて自分が勝山で拾った石をペンダントにしたもの。喜代美が拾った化石と交換し、そのために清海が化石の発見者になってしまい、屈辱を覚えた喜代美が海に捨てていもの)を拾い、ペンダントにして胸にかけている。その石には何かこだわりがあるらしく、甥の春平が触っただけで声を荒げているが、そのこだわりが何かは具体的には明らかにされていない。
; 和田(野口)友春(わだ(のぐち) ともはる) - [[友井雄亮]]/[[小阪風真]](少年時代)
: 秀臣の長男。清海の兄。小学生の時に暴言を吐いたため、初対面の喜代美からかばんで殴られる。そのことがきっかけで、喜代美に一目惚れし、喜代美が高校を卒業すると喜代美にプロポーズした。しかし、しっかりした妹と違って典型的なドラ息子に育ってしまったため、小浜では「アホ」もしくは「'''アホボン'''」と呼ばれており、肝心の喜代美には相手にされていなかった。どこか似ている小草若とは犬猿の仲だったが、後述する経緯で順子との結婚が決まってから和解した。
: 自分に秀臣ほどの経営能力がないことを自覚しており、喜代美に再度プロポーズしたが、喜代美は既に落語の道に進む決意をしていたため、断られた。それを聞いた友春は喜代美のことをきっぱりとあきらめ、自分の道をみつける決意を固めた。友春は正典にその決意を語り、そのことが小梅や正典を動かし、喜代美の草若への弟子入りを後押しすることとなった。
: 順子とは、喜代美の落語を聞くために共に大阪へ向かったことをきっかけに、徐々に親密さを増していく。その後、順子が妊娠していたことが明らかとなり、自分が工場を継ぐ自信がなかったことと順子に対する責任をとるために、順子と結婚して婿入りし、魚屋食堂を継ぐことになった。以後、焼き鯖を修行し、1999年の段階では店を任せられるまでに上達している
; 和田秀臣(わだ ひでおみ) - [[川平慈英]]
: 小浜の大手箸工場の社長。正太郎の元弟子で、正典の兄弟子。伝統工芸の塗箸に見切りをつけて正太郎のもとを去ったため、小梅に嫌われており、正太郎の葬式でも追い返された。正太郎の死後、正典に請われ自分の工場の社員扱いで塗箸の技術を正典に教えた。後に正典の箸が持つブランド力に注目し、自分の工場と正典の塗箸店との合併を狙っているが、正典は断固として断り続けている。
97行目:
: かつて「上方落語界の四天王」と称されていたが、喜代美と出会う3年前の一門会の日、高座の直前に妻志保の余命があと3ヶ月だと知り、心が乱れ、高座に上がれない状態になったために天狗座での徒然亭一門会に穴を開けてしまう。そのため、天狗芸能会長を激怒させ、天狗芸能を追放された。喜代美と出会った当時は落語をしておらず、借金まみれで、酒浸りの日々を送っていた。ずっとそばに従っていた草々や戻ってきた弟子達に対してわざとそっけない態度をとったが、これは自分にこだわってくすぶるのを懸念してのこと。草々などの弟子達の熱意や喜代美を見ていくうちに落語への情熱が甦り、ついに落語家復帰を決意する。
: 落語家復帰前は無精ひげを生やし、頭も白髪混じり、暖かい季節でもどてらを着用するなどさえない格好をしていたが、落語家復帰後は髪を黒く染め、サスペンダーを愛用するなどビシッと決めている。面白いと思えばその場のノリで行動することがよくあり、内弟子修業中で恋愛御法度だった喜代美に対して草々絡みでからかって遊んだこともあった。情操教育を大事にしており、特に内弟子修業時代は本人の特徴に合った噺を教える傾向がある。また弟子に落語を引用して諭すことも多い。小草若が落語家を目指すことを心の底から喜んでいたものの、他の弟子の手前あくまでも師匠として厳しく指導したため、小草若が自信を失う原因になったが、それを悔やむと同時に「小草若に向いた芸がある」と気にかけている。
: 1999年、不治の病(お腹の病気らしき描写がある)にかかり、検査でもう長くはないと知った草若はかねてより悲願としていた定打ち小屋の設立に奔走。鞍馬にねじ込んで、喜代美との師弟会を開くことを条件に協力を得ることに成功。しかし、病のために師弟会を断念し、喜代美の4人の兄弟子達に自分がかけるはずだった演目「地獄八景亡者戯」を手分けして演じるように言い残す。草若は師弟会の代わりに行われた弟子の会が始まる直前に危篤に陥り、弟子の会が終わると同時に死去。あの世で正太郎と再会した。
<!-- 病についてはまだ決着がつかないので、現段階で記述するのは早計 -->
; 徒然亭草々(つれづれてい そうそう) - [[青木崇高]]/[[森田直幸]](少年時代)
: 草若の二番弟子で、後に喜代美の夫となる。本名・青木一(あおき はじめ)。[[1963年]]([[昭和]]38年)[[8月1日]]生まれ。
126行目:
<!--
;木曽山勇助(きそやま ゆうすけ)- [[辻本祐樹]]
:草々の弟子で草若にとっては孫弟子にあたる。草若存命の頃より弟子入りを希望し、草々の出待ちをしたり、草若邸に電話したりしていたが、1999年の春、草若が亡くなった直後に小草若のとりなしもあって草々に弟子入りした。大学では落語研究会に所属しており、特に「[[鉄砲勇助]]」を得意としている。だが筋金入りの嘘つきなのが欠点。
-->
; 吉田志保(よしだ しほ) - [[藤吉久美子]]
166行目:
; 土佐屋尊徳(とさのや そんとく) - [[芝本正]]
: 尊建の師匠。小草若が尊建を殴ったときには激怒し、徒然亭一門との間に緊張が走ったが、尊建の怪我が癒えると怒りも解け、小草若をかばった草々を破門した草若の心情を思いやる発言をし、暗に草々の破門を解くように働きかけた。彼も「上方落語界の四天王」と称された実力派で彼の「景清」を聞いた草々はショックを受けたほど。
<!--
; 漢五郎(かんごろう)- [[芦屋小雁]]
: 「上方落語会の四天王」と称された落語家の一人。
-->
; 柳宝の弟子 - [[林家染左]]、[[林家染吉]]
: 演じる染左・染吉は柳宝演じる染丸の弟子である。
179 ⟶ 177行目:
: 大阪在住のフリーライター。[[伝統工芸]]の取材で訪れた小浜で喜代美と出会い、それ以来喜代美にとって憧れの的となる。しかしその華やかな姿とは裏腹に、日常生活には無頓着で掃除や料理などの家事が苦手でそのためにふられた過去がある。家事の話題になると昔の苦い思い出がよみがえり、我を忘れて愚痴を述べ、自分の世界に入ってしまい、時には暴れることさえある。
: 部屋はゴミの山状態であるほど散乱しており、これを見た小次郎は宝の山だと興奮。これがきっかけで奈津子は小次郎を意識するようになり、小次郎と連絡を取り合っている他、ガラクタを小次郎のところへ送り、小次郎の着ていたアロハシャツを部屋に飾っていた。後に小次郎が奈津子の部屋に転がり込み、一緒に暮らしている。同居してからは小次郎から「なっちゃん」と呼ばれている。家事も小次郎に任せている。
: 喜代美が大阪に来てからは喜代美をアルバイトに雇い、悩む喜代美にアドバイスを送った。喜代美が入門してからは女流落語家は珍しいとして喜代美を取材している。これは後ろ向きな性格の喜代美を見てかつての自分を思い出したことも理由の一つになっている。
: 原稿執筆時は大きなメガネにヘアバンド姿が多い。雑居ビルの一室を仕事場兼自宅としており、隣がスナック「アムール」で向かいが麻雀荘「隙間風」である(「スタジオパークからこんにちは」に演じる原が出演した際に語られた設定)。
; 原田緑(はらだ みどり) - [[押元奈緒子]]
219 ⟶ 217行目:
: 草々が出演した落語番組の司会。
; 木野鳩子(女将) - [[高野暢子]](第94回 - 第96回)
: 糸子の母。落語「[[たちぎれ線香]]」の再現場面では糸子が演じた芸妓小糸の所属する置屋の女将を演じた。ちなみに木野という苗字はその置屋の名前「紀ノ」にちなみ、名前は「いとこ」からの連想で「はとこ」になった。
 
== 人物名・店舗名の由来と考えられる落語および人物 ==