「長周新聞」の版間の差分

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== 概略 ==
[[日本共産党]]が内部分裂状態にあった1955年、親[[中国共産党|中共]]派の一人であり当時党本部から除名状態にあった[[福田正義]]が、地元下関に「独立、民主、平和、繁栄、民族文化の発展」の編集綱領をかかげて創刊する。当時から自社印刷工場を抱えていたとされている。同社の印刷工場では、日本共産党山口県委員会の出版物が多く印刷された。このため、福田が分裂したころは、山口県委員会が印刷工場が使えなくなってしまったことから印刷活動に多くの支障を与えたため、同委員会が出版物を印刷する際に、山口県外の印刷工場が使われたことがあった
 
その後、福田が[[1966年]]に[[日本共産党]]から分裂し後に[[日本共産党 (左派)]]議長となったことから、長周新聞が日本共産党(左派)の事実上の準[[機関紙]]であるという見方がある。ちなみに福田は[[2001年]]に亡くなるが、現在でも福田が長周新聞の[[主筆|編集主幹]]となっており、今なお福田を顕彰する記事が掲載されることがある。