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'''エピクロス主義''' Epicureanism (Epicureanism)は、ヘレニズム期のギリシア哲学者[[エピクロス]]に影響を受けた学派と、「。またはそれが[[快楽主義]]として通俗化された思想をさす。
 
 
== ギリシアからローマへ ==
 
エピクロスの生涯と学説についての主たる権威は3世紀の[[ディオゲネス・ラエルティウス]]である。ディオゲネスは歴史的根拠のない伝説を容認し、[[ストア派]]が行ったエピクロスの醜聞なるものの告発・攻撃を含んでいた。そのため「快楽の存在」よりも「苦痛がない状態」を賢者の目的としたはずのエピクロス哲学はいかがわしいうわさ話や伝説から選り分けなければならず、俗人には誤読されることになった。エピクロスその人も他の先行した哲学者に寛容ではなく、自己の教説を独裁的に弟子に押しつけたため、真のエピクロス派の影響は限られた。
 
ローマにおいては、[[ポエニ戦争]]後ギリシア哲学がローマに浸透しエピクロス派はストア派と並んで教育を受けたローマ人を魅了した。しかし[[クリュシッポス]]以来ストア派によってまき散らされたエピクロス派への誹謗によってが行われたため、多数のローマ人はエピクロスの徒を「欲望の奴隷」と見なした。
 
[[キケロ]]がその哲学解説書『善と悪の究極について De(De finibus bonorum et malorummalorum)』においてエピクロスの説を通俗化し、抑制されない耽溺や享楽を正当化する、非常に悪い意味での唯物論者と同一視させた。詩人の[[ホラティウス]]はふざけてではあるが、自分のことを「エピクロスの獣群のなかの豚」と呼んでいた。
 
一方、エピクロスの真剣な研究が[[ウェルギリウス]]や[[ルクレティウス]]などの詩人によって行われ、特に後者による『事物の本性について De rerum natura』はエピクロス哲学を熱狂的で絢爛たる詩句で叙述し、迷信と恐怖からの解放を説いた。エピクロス哲学が[[ルネサンス]]以降の読書人によって知られるようになるのは、ルクレティウスによる。
 
一方、エピクロスについての真剣な研究が[[ウェルギリウス]]や[[ルクレティウス]]などの詩人によって行われ、特に後者による『事物の本性について De(De rerum naturanatura)』はエピクロス哲学を熱狂的で絢爛たる詩句で叙述し、迷信と恐怖からの解放を説いた。エピクロス哲学が[[ルネサンス]]以降の読書人によって知られるようになるのは、ルクレティウスによる。
 
== ルネサンス以降 ==
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== 参考文献 ==
 
*A・ランゲ『唯物論史』
*A.A.Long & D.N.Sedley (1987). The Hellenistic Philosophers Volume 1, Cambridge University Press. ISBN 0-521-27556-3
 
== 関連外部リンク ==
 
== 関連リンク ==
 
* [http://www.epicurus.info Epicurus.info - Epicurean Philosophy Online]
* [http://www.epicurus.net Epicurus & Epicurean Philosophy]