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初代藩主[[水野忠清]]の次男。母は[[前田利家]]の娘。正室は[[中川久盛]]の娘。子は娘([[小笠原長章]]正室)、[[水野忠直]](次男)の他、女子1人と早世した男子がいる。官位は従五位下、出羽守。
 
[[寛永]]11年12月([[1635年]]1月)従五位下出羽守となる。[[正保]]4年([[1647年]])に家督を継いで松本藩主となり、[[徳川家綱]]に謁見する。[[慶安]]2年([[1649年]])領内の総検地(慶安5年まで続く)を実施した。また、同年[[江戸城]]の石垣普請を務めた後、[[承応]]元年([[1652年]])から承応3年([[1654年]])、[[万治]]元年([[1658年]])から万治2年([[1659年]])、[[寛文]]元年([[1661年]])から寛文2年([[1662年]])の3期に渡って[[大坂城代]]を務めた。同7年[[安中藩]]主[[水野元知]]が[[改易]]となり、その身を預ることとなった。
 
[[江戸]]において56才で死去。後を次男・忠直が継いだ。