「ウィリアム・アイリッシュ」の版間の差分

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== 経歴 ==
1903年に[[ニューヨーク]]で生まれ、少年時代は[[メキシコ]]ですごした。[[1921年]]に[[コロンビア大学]]入学しジャーナリズムを専攻したが、在学中から小説を書き始め、大学はやめてしまう。
 
[[1926年]]には、最初の小説''Cover Charge''を出版した。当初は普通小説の作家であった。
 
[[1931年]]には''Cover Charge''を映画化したプロデューサーの娘と結婚するが、この結婚は3週間しか続かなかった。この後は住居を持たず、母と共にホテルを々とする暮らしを続けた。
 
[[1934年]]から[[推理小説]]の短編をパルプマガジン向けに書き始め、しだいにその数を増やしていった。[[1940年]]の『黒衣の花嫁』から長編も書くようになり、サスペンス小説作家として地位を高めていった。
 
1940年代後半から母が重病となり、出版される小説はしだいに減っていった。[[1957年]]には母が死に、元々厭人的であった性格がさらにひどくなった。その後[[糖尿病]]や[[アルコール依存症|アルコール中毒]]に苦しめられ、糖尿病により壊疽した足などは医者に見せたときには手遅れで、切断するしかない状態であった。1968年に死亡するが、遺族はいなくおらず、葬儀への参列者は5人だけだった。
 
母校である在籍していたコロンビア大学に作家育成の奨学金として百万ドルを寄贈している。
 
==作風==
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追われる者の不安や孤独を描くことを得意としており、その作風はサスペンス派に分類することができる。哀愁味が溢れる美しい文体から、“サスペンスの詩人”と呼ばれている。
 
ストーリー的に設定としては、期限内に事件を解決しなければ死んでしまうというタイム・リミットを設定したものや、自分は無実なのに誰も自分の言うことを信じてくれないといった状況を描いたものが多い。
 
論理的な推理を中心に据えた本格推理とは一線を画する。
 
長編の代表作である[[1942年]]の『幻の女』は、[[江戸川乱歩]]の新しい探偵小説であり、すぐに訳すべきであるという評価によって、日本で圧倒的な知名度を持っている。
 
短編の代表作である[[1942年]]の『裏窓』は[[アルフレッド・ヒッチコック]]監督により映画化された。