「海東諸国紀」の版間の差分

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*序文に「・・・[[周]][[平王]]四十八年其始祖[[狭野]]起兵誅討、始置州郡・・・」とある。
*「日本は最も久しく、其つ大なり。其の地は黒龍江の北に始まり、我が済州の南に至り、琉球と相接し、其の勢甚だ長し。その初は、処処に衆を保ち、おのおの自ら国をつくる。周の平王四十八年、其の始祖の狭野は兵を起こして誅討し、始めて州群を置く。大臣おのおの占めて文治するも、中国の封建のごとくは統属甚しからず。習性は強悍にして剣槊に精なり。舟楫に慣れ、我れと海を隔てて相望む。之を撫するに其の道を得ば、則ち朝鮮は礼を似てし、其の道を失えば、則ち輒ち肆に剽窃せん。」
 
== 刊本 ==
[[1933年]]に朝鮮史編集会から「朝鮮史料叢刊」として影印刊行され、日本では[[1991年]]に詳細な訳注本が[[岩波文庫]]から出版されている。