「チェーザレ・ボルジア」の版間の差分

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: また、フィレンツェ共和国から派遣され、チェーザレの行動をつぶさに見ていたマキァヴェッリは、チェーザレの死後、外国に蹂躙されるイタリアの回復を願い、統治者の理想像を[[フィレンツェ]]の[[メディチ家]]に献言するため『[[君主論]]』を執筆した。マキァヴェッリは、『君主論』第7でチェーザレほど新たに君主になった者にとってよい教訓はない、と高く評価している。また第26では、イタリアにとって神から下された光明のような人物であったと語っている。
 
ボルジア家といえば陰謀渦巻く一家で、政敵を次々に毒殺した([[カンタレラ]]と呼ばれている毒を開発した)、チェーザレは妹のルクレツィアとは[[近親姦]]であったなどの言説がしばしば行われるが、真偽のほどは不明である。
 
== チェーザレが征服した地 ==