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[[1991年]]、[[セントルイスカージナルス]]からドラフト1巡目(全体4番目)で指名され契約。1996年にメジャーデビュー。[[1997年]]シーズン終了後に[[シンシナティ・レッズ]]に移籍。レッズでは[[外野手]]・一塁手としてプレーし、4年連続で打率3割以上を記録した。
 
[[2001年]]シーズン終了後に[[ホワン・エンカーナシオン]]ら2人とのトレードで[[デトロイト・タイガース]]に移籍。2003年には自己最高の29本塁打を記録し、[[MLBオールスターゲーム|オールスター]]にも初選出された(出場はせず)。[[2005年]]シーズン開幕戦の[[カンザスシティ・ロイヤルズ]]戦では3本塁打を記録(開幕戦3本塁打は[[ジョージ・ベル]]、[[タフィー・ローズ]]に次ぐ史上3人目)。本塁打が出にくい球場として知られる[[コメリカ・パーク]]での達成だった。同年[[11月27日]]には[[デトロイト]]で開催されたプロレス団体[[WWE]]の[[サバイバー・シリーズ]]に、[[アダム・コープランド|エッジ]]、[[エーミィ・ダーマス|リタ]]と共にトークショーに出演した。しかし[[2006年]]は、家庭内暴力による離婚や[[アルコール中毒依存症]]などの影響でわずか48試合の出場に終わり、デトロイト・タイガースから解雇された。
 
[[2007年]]3月、一塁手[[ニック・ジョンソン]]を故障で欠いた[[ワシントン・ナショナルズ]]から春季キャンプに招待され結果を残し、開幕メジャー入りを果たした。オールスター前までにリーグ3位の打率.340を記録する活躍を見せ、4年ぶり2回目のオールスターに選出。9回裏2アウトの場面で代打で出場し、オールスター初打席でヒットを打った。2007年は打率.320、13本塁打、74打点と活躍し、[[カムバック賞]]を受賞した。