「宣宗 (唐)」の版間の差分

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初めは光王に封じられる。武宗が危篤となると[[宦官]]の[[馬元贄]]により異例の皇太叔に擁立され、846年に武宗の崩御に伴い即位した。
 
聡明な宣宗は、衰退した国勢を再建するために[[裴休]]らを起用して内政に力を注いだ。[[李徳裕]]の一党を排除し、[[牛僧孺]]派を抑制するなど重臣による派閥闘争([[牛李の党争]])や宦官勢力の削減すると同時に、宦官への穏健な抑制政策を採用するなどの社会の安定を図った。また武宗時代に出された廃仏令([[会昌の廃仏]])を廃し、仏教を保護するなどの施策を行っている。
 
しかし晩年になると[[道教]]に依拠、不老長寿を求めるようになった。そして859年、丹薬による中毒症状で51歳にして崩御した。