「劇団イナダ組」の版間の差分

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[[1992年]]に劇団として定期公演として芝居をスタートさせるため、同年に役者たちを募り劇団としての形式に移行。[[1992年]]の[[2月28日]]から[[3月1日]]まで行われた第4回公演、「色物図鑑 TAKEDA~ノルウェーの森」より、初めて劇団という形での活動に乗り出した。[[1993年]]に行われた第7回公演では、当時まだ[[北海学園大学]]の学生であった[[森崎博之]]が芝居に出演するなど、助っ人として劇団に携わった数多くの役者の一部がその後も劇団イナダ組の一員として残ることとなった。
 
[[1994年]]公演には[[佐藤重幸(現・[[戸次重幸]]が参加、翌[[1995年]]に第10回公演を迎え、同じく北海学園大学より[[大泉洋]]や[[音尾琢真]]などが加わった。その後[[1996年]]の公演には、演出を担当するイナダ自らが役者として芝居に出演、同年に行われた第11回公演「サンチョパンサのバカ」から、劇団の役者の人数が飛躍的に増加した。以降、[[1997年]]公演で観客動員数2000人を達成、[[1998年]]には札幌市内中心部に位置する[[道新ホール]]で初めて公演に成功、[[2000年]]の第20回公演では[[札幌市教育文化会館]]の大ホールで公演を行うなど、活動の舞台を大きくしていった。
 
[[2002年]]に劇団は10周年を迎え、札幌市・函館市・[[富良野市]]の3つの都市で記念のロードツアーと題した地方公演を初めて開催した。翌[[2003年]]には北海道内6か所での公演を実行、同年7月に行われた第26回公演「ライナス」では、[[幼児虐待]]をテーマに扱うなど社会問題にも触れた。
 
[[2007年]]には、劇団ゴールデンキラーズらとコラボレーションを行い「イナダ祭り」を開催。劇団員を赤・青・白の3つのグループに分け、開催日ごとにそれぞれ違うチームの演劇やトークショーを行うという、新たな試みを行っている。また、9月には、札幌市と[[福岡市]]の劇場運営NPO法人の企画による地方の演劇界を盛り上げる企画「Meets! 2007」に参加予定。イナダ組初の道外公演が実現する運びとなった。<!--出典:北海道新聞2007年8月15日第4社会面-->
 
== 概要 ==