「ジョー・アドニス」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
Sanmari (会話 | 投稿記録)
m編集の要約なし
Sanmari (会話 | 投稿記録)
m編集の要約なし
4行目:
本名 Giuseppe Antonio Doto は、[[ナポリ]]の近くの小さな町で生まれ、幼いころからスリなどの犯罪に手を染め、1915年、[[アメリカ]]に不法入国し[[ブルックリン]]に定住した。そこで[[ラッキー・ルチアーノ]]と知り合いジョー・アドニスと名乗るようになる。
 
強姦罪で検挙されたりしたが、恐喝や売春で金儲けをし身だしなみに気を遣い伊達男を気取った。ルチアーノとの縁で[[ジョー・マッセリア]]の組織構成員になったが、マッセリアがライバルの[[サルバドール・マランツァーノ]]と抗争に入ると、ルチアーノに同調して密かにマランツァーノに寝返り、1931年4月15日、[[コニーアイランド]]でマッセリアを襲って暗殺した。このときの仲間は[[バクシー・シーゲル]](Bugsy Siegel)、[[ヴィト・ジェノベーゼ]](Vito Genovese)、[[アルバート・アナスタシア]](Albert Anastasia)であったと言われる。
 
その後、ルチアーノがマランツァーノをも暗殺してコーサ・ノストラの最高幹部に就任するとすると、1932年からブルックリンの縄張りを任された。1936年から始まった連邦政府による組織犯罪摘発でルチアーノが逮捕されイタリアに追放されると、ルチアーノの指示を受けながらその代役を務めた。