「日産・R88C」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
編集の要約なし
1行目:
'''日産・R88C'''は、[[1988年]][[全日本スポーツプロトタイプカー耐久選手権]](JSPC)、および[[ル・マン24時間レース]]参戦用の[[日産自動車]]の[[グループC]]カー。
 
前シーズン用に日産が購入した[[マーチ87G/日産|マーチ87G]]シャシーのモノコックを流用し、ホイールベースを延長。日産内製のカウルを装着し独自のものとした(但し後にフロントカウルはマーチのものに戻された)。エンジンは前年型のVEJ30を大幅に改良した3リッターV型8気筒ツインターボのVRH30を搭載。このマシンからエントリーリストには「マーチ・日産」から「日産」と表記されるようになった。また[[ニッサン・モータースポーツ・インターナショナル|ニスモ]]のメンテナンス・エントリーとなるフルワークス体制で臨むようになったのはこのR88Cからである。
 
デビュー戦は88年JSPC開幕戦富士500km。降雪の影響で事前のテストが不足し、エンジンの熟成が不十分なままレースに臨み、1台は電気系トラブルでリタイヤ、もう1台は規定燃料を使い切りリタイヤとなった。2戦目の鈴鹿500km、3戦目の[[富士1000km]]は共に2台揃って完走。日産にとって3年目となるル・マンは1台が14位で完走した。ル・マン後はマシンに速さも加わり、[[富士500マイル]]では予選で[[ポールポジション]]獲得、決勝でも3位表彰台を獲得した。続く[[鈴鹿1000km]]でも連続表彰台の3位。期待されたWEC-JAPANではマイナートラブルで9位完走に留まった。このレースから日産/ニスモ陣営はテレメトリーシステムを本格導入している。