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'''ミシュランガイド'''(英:Michelin(Michelin Guide、仏:Le Guide Michelin(Michelin、ギド・ミシュラン))は、[[フランス]]の[[タイヤ]]メーカーである[[ミシュラン]]社により出版され[[旅行様々なガイドブック|ガイドブック]]の総称である。
 
それらのうちで代表的なものは、レストランの評価を星の数で現すことで知られるレストラン・ホテルガイドであり、これは装丁が赤色であることから'''レッド・ミシュラン'''(Red Michelin、仏:'''ギド・ルージュ''' Le Guide Rouge<!--'''赤ミシュラン'''とも呼ばれる。-->)とも通称される。他には、緑色を基調とした装丁から'''グリーン・ミシュラン'''(Green Michelin、仏:'''ギド・ヴェール''' Le Guide Vert<!--'''緑ミシュラン'''とも呼ばれる-->)とも呼ばれる[[旅行ガイドブック]]や、自動車旅行向けの道路地図'などがある。
== 概要 ==
赤い装丁で[[レストラン]]・[[ホテル]]の格付けの権威である'''レッド・ミシュラン'''(英:Red Michelin。'''ギド・ルージュ'''(仏:Le Guide Rouge)、'''赤ミシュラン'''とも呼ばれる。)がミシュランガイドの看板的なガイドブックであり、特にレストランを星印の数で評価することでミシュランをガイドブックの代名詞的な存在としている。
 
また、レッド・ミシュランより一回り大きく、緑の装丁で地域の歴史や地理・名所旧跡の解説が詳しい'''グリーン・ミシュラン'''(英:Green Michelin。'''ギド・ヴェール'''(仏:Le Guide Vert)、'''緑ミシュラン'''とも呼ばれる)、自動車の運転者向けの地図'''二十万分の一自動車旅行地図'''シリーズがある。
 
== 歴史 ==
ミシュラン[[パリ万国博覧会 (1900年)|パリ万博]]行われた1900年、自動車運転者向けのガイドブックとしてフランスで発行されたのが始まりである。内容は、郵便局や電話の位置まで示した市街地図ほか、都市別のガソリンスタンドやホテルの一覧、されに1900年自動車の整備方法などであった最初これは35,000部が印刷され無料で配布された。旅行ガイドブックを発行者であことミシュラン社はタイヤ会社あり、これにより自動車旅行が活発化し、タイヤの売れ行きが上がるのをことが目論ものったといわれてい。[[地図]]のほか、[[郵便局]]や電話の位置、都市別のホテルの一覧などが網羅された。その他、タイヤのパンク修理の方法、空気圧の調整方法などが記載されていた
 
[[第一次世界大戦]]に伴い[[1915年]]から[[1918年]]まで出版が中断したものの、終戦後には旅行ガイドブックのシリーズとして『古戦場案内』も刊行された。この頃、ある修理工場を訪ねた際に傾いた作業台の足代わりとしてミシュランガイドが地面に積み重ねているのを見かけて「人間は金を払って買ったものしか大切にしない」と考えたミシュラン社のミシュラン兄弟はそれまでの無償配布を中止、1920年からは有償での販売となった<ref name="rekishi">[http://www.michelin.co.jp/guide/history/guide.html ミシュランガイドの歴史] 日本ミシュランタイヤ株式会社</ref>。
事実か否かは不明だが、アンドレー・ミシュランの立ち寄ったあるレストランでテーブルのがたつきを直すためミシュランのガイドブックがテーブルの足と床の間にはさみこまれているのを見つけた。この扱いに発奮したアンドレーはミシュラン社内にガイドブック専属の部署を作ったという逸話がある。この体制で[[1913年]]から「二十万分の一自動車旅行地図」シリーズが刊行された。
 
[[1930年代]]にはレストランを星で格付けする方式が開始され、ミシュラン社員が匿名で施設の調査を行うようになった<ref name="rekishi"/>。星の数は当初の1つ星のみから、2つ星までとなり、現在の3つ星方式は1933年が最初である。 [[第二次世界大戦]]に伴う[[1940年]]からの出版中断を経て、[[1945年]]に登場した改訂版では戦争で破壊されたレストラン・ホテルが点線で示された。星による格付けの再開は[[1950年]]版からであった。
[[第一次世界大戦]]中の[[1915年]]から[[1918年]]の間は出版が中断。戦後、グリーン・ミシュラン(ギド・ヴェール)のシリーズとして『古戦場案内』を刊行する。
 
[[1956年]]、初めてのフランス国外版として「北イタリア」版ガイドが創刊され、[[ベネルクス]]版、[[スペイン]]版が続いた。2005年には、初めて[[ヨーロッパ]]以外を対象とした「[[ニューヨーク市|ニューヨーク・シティ]]」版が登場、3つ星レストランがわずか3軒、しかも全てがフランス人[[シェフ]]の店だったことで物議を醸した。2006年には「[[サンフランシスコ]]とベイエリア」版が加わった。2007年には[[欧米]]以外では初となる[[東京]]版が出版された。
また[[1920年]]にガイドブック有料化することで質の向上を目指すようになった。1926年からレストランの星印による格付けを開始した。開始当初は一つ星のみで、1931年に二つ星が、1933年に三つ星が登場した。
 
== レストラン・ホテルガイド ==
[[第二次世界大戦]]激化のため[[1940年]]に出版は中断を余儀なくされた。[[1944年]]、[[ノルマンディー上陸作戦]]を準備している際、アメリカ軍は前線に対して[[1939年]]版『ギド・ミシュラン』を極秘扱いで写真電送したといわれる。
これはミシュランガイドのなかで代表的なものであり、レストランとホテルを評価・案内している。伝統的に赤色の装丁を特徴とし、フランス国内を中心に日米欧各都市・地域と言語別の分冊になっている。レストランやホテル1件ごとの記載があり、それぞれに対して各種記号による格付けがなされている。
 
=== 評価と格付け ===
第二次世界大戦後すぐの[[1945年]]には改訂版が登場した。しかし戦争で破壊されたレストラン・ホテルが多く、星による評価は[[1950年]]版まで行われなかった。そのころ刊行されたガイドブックでは戦争で破壊されたレストラン・ホテルを点線で表示していた。
*星印による評価( =料理そのものの評価)
星の数は次のような意味を持つ<ref name="guidetokyo">[http://www.michelin.co.jp/guide/index.html ミシュランガイド東京] 日本ミシュランタイヤ株式会社</ref>。
 
(1つ星) - その分野で特に美味しい料理
ガイドブックの対象地域もフランス国外へと広がり、[[1956年]]には初めての国外版・北[[イタリア]]版レッド・ミシュランが発行された。ついで[[ベネルクス]]版、[[スペイン]]版が登場した。
 
(2つ星) - 極めて美味であり遠回りをしてでも訪れる価値がある料理
2005年末にレッド・ミシュランとしてはじめて北米版として「ニューヨーク・シティ」が登場。2006年にはアメリカのワイン産地に近い「[[サンフランシスコ]]とベイエリア」が追加され、2007年[[11月22日]]には[[アジア]]初の[[東京]]版も発行された。
 
(3つ星) - それを味わう為に旅行する価値がある卓越した料理
== 美食ガイド ==
ミシュランのガイドブックの内[[美食]]・[[食通]]に関する本 (Guides gastronomiques)。[[日本放送協会|NHK]]における呼称は「伝統あるフランスのレストランガイド」または「フランスの伝統あるレストランガイド 」。
 
ミシュランガイドでは、星印が付かなくとも掲載されていること自体で一定の評価を得ていることを意味するが、2007年発行の東京版では史上初めて掲載全店に1つ以上の星が付与された。「フランス」版(2006年)では、掲載された約8,900軒以上のレストランのうち26軒が3つ星を得ている。
=== レッド・ミシュラン ===
'''レッド・ミシュラン'''(英:Red Michelin。'''ギド・ルージュ'''(仏:Le GUIDE ROUGE)、'''赤ミシュラン''')は、ホテル及びレストランのガイドブックである。その名の通り赤一色の装丁で仕上がっている。[[1900年]]、[[パリ万国博覧会 (1900年)|パリ万博]]の際に初めてミシュランが刊行したガイドブックの源流で、一般的にガイドブックでのミシュランといえばこのレッド・ミシュランのことを指す。
 
*フォークとスプーン印による評価( =快適さとサービスによる評価 )
フランスでは『Le GUIDE ROUGE』という書名で親しまれていたが、[[2004年]]版から表紙の表記が単に『Michelin』に戻った。しかしミシュランの他のガイドブックと区別する為「ギド・ルージュ」は愛称として使用され続けている。
スプーンとフォークでX字形に組み合わせた印を5段階で用いることによって評価を現している<ref name="guidetokyo"/>。ホテルの項目では[[ファサード]]をマーク化したものが用いられる。
 
*ビブによる評価(コストパフォーマンスによる評価 )
2005年末に[[ヨーロッパ]]以外で初めてとなる「[[ニューヨーク|ニューヨーク・シティ]]」が登場。三つ星を与えられたレストランはわずかに3軒であり、しかも3軒全ての[[シェフ]]がフランス人であった為物議を醸した。
ビブとはミシュラン社のキャラクターである「ムッシュ・ビバンダム」のことである。レストランには[[1997年]]、ホテルには[[2003年]]から用いられるようになった比較的新しい基準で、それらのコストパフォーマンスを現している。レストランの場合パリ郊外では26ユーロ未満、パリでは34ユーロ未満の予算で料理が提供されること<ref name="guidetokyo"/>が条件となる。
 
==== 記載内容調査方法 ====
ガイドブック内に[[広告]]は掲載されず、評価対象に対しては匿名での調査を基本とする。フランスの慣習「料理評論家は評価対象のレストランでの食事代金を支払わない」には従わないが、身分を明かした後、写真撮影の為の料理代金は店持ちとなるという<ref name="asahi1121">[http://book.asahi.com/news/TKY200711210415.html ミシュラン東京版発売 星150店「納得」「疑問」の声] 『朝日新聞』 2007年11月21日</ref>。調査員は調査地域を固定されることなく、各地を転々とする。調査員の大半はホテル学校の卒業生で、5年から10年のレストラン・ホテル業界経験者のミシュラン社員である<ref name="guidetokyo"/>とされる。
ガイドブックはフランス国内を中心に都市・地域別の分冊になっている。一冊の中で更にABC順にホテル・レストランが記載されており、それぞれに'''快適さによる評価'''と'''星による評価'''(味の評価)がなされている。
 
さらに、調査員の身分を明かしてレストラン・ホテルの経営者やシェフについて聞き取りを行う「訪問調査」が組み合わされる。全てのレストランには少なくとも18箇月に一度、星を与えられたレストランには年に数回という頻度での「試食調査」が行われているといわれる{{要出典}}。最終的な決定は調査員からの報告書とミシュランガイドに織り込まれている読者カードにより寄せられた読者の意見なども加味して、審査員全員の合議により決定される。
==== 快適さによる評価 ====
「快適さ」の評価はホテルの場合[[ファサード]]をマーク化したもの、レストランの場合にはスプーンとフォークでX字形に組み合わせたマークを5段階に使い、それぞれ快適さを評価している。更にレストランの味については星の数で評価される。
 
==== 星による評価に纏わる逸話 ====
{{出典の明記S}}
星はレストランの味を示す記号として使われている。星の数で意味が以下のように与えられている。
3つ星を与えられた施設は多くの客を集め、経営者やシェフはマスコミに取り上げられる。また食品や食器の製造企業とのスポンサー契約なども見込める。逆に、3つ星から2つ星に評価が下がる場合には、その負の影響を考慮して事前通告がなされるという。
 
ミシュランの調査員を16年間務めたパスカル・レミ(Pascal Remy)は自著『L'Inspecteur Se Met a Table』<ref>「裏ミシュラン」 吉田良子(訳)、バジリコ ISBN 4901784587</ref>において、3つ星レストランのなかには既にその価値が無くなっているにも係わらず、しがらみから星の数を維持している店も在る等の実態を暴露している。そのほか、星に纏わる逸話には次のようなものがある。
* 一つ星 - その分野で特に美味しい料理を提供するレストラン。
* 二つ星 - 極めて美味な料理であり遠回りをしてでも訪れる価値がある。
* 三つ星 - 卓越した料理を供する。それを味わう為に訪れる事自体が旅の目的になり得る。
 
*[[1966年]]、[[パリ]]の人気レストラン「ルレー・デ・ポルクロール」のシェフ、アラン・ジックが自殺。ミシュランの評価が下がったことを気にしたのが原因と噂された。
星による評価は[[1926年]]から始まり、二つ星が与えられるようになったのが[[1931年]]から、三つ星が与えられるようになったのが[[1933年]]からである。[[2006年]]版のミシュラン「フランス」には約8,900軒以上のレストランが掲載されているが、三つ星を与えられたレストランは26軒にとどまる。
*[[2003年]]、[[1980年代]]に天才料理人ともてはやされた[[ベルナール・ロワゾー]]が自殺。自身の3つ星レストラン「ラ・コート・ドール」の2つ星への降格が打診されたのことが原因と噂された。2003年版で同レストランは3つ星を維持<ref>tadasi,レストラン・ガイドの『ゴー・ミヨ』誌は同年に19点から17点に評価を落とした</ref>した。
*世界で最も有名な[[フランス料理]]レストランのひとつであり1933年以来3つ星を維持していた「[[トゥール・ダルジャン]]」<ref>1947年から2006年までのオーナー、クロード・テライユは「世界のレストランは2種類ある。トゥール・ダルジャンとそれ以外のレストランだ」と語っている(宇田川悟 『フランス料理は進化する』 文芸春秋 ISBN 4-16-660219-3)。</ref>は[[1996年]]、2つ星に降格。オーナーが一時失踪したと伝えられた。同店は観光客が入り過ぎて雰囲気が悪化しているとされ、2006年版では1つ星にまで降格している
*パリのを代表する高級レストランのひとつとして3つ星を得ていた「マキシム(Maxim's)」だが、[[1978年]]版から6つの店が突然掲載されなくなった。マキシムは「当方はレストランではなく劇場。従ってミシュランは正しい」としたが、実際のところは3つ星から2つ星への降格を打診され、これを受けたマキシムがレストランとしての掲載を拒否したというものであった。
 
== ミシュランガイド東京 ==
==== Bibによる評価 ====
2007年11月20日、『ミシュランガイド東京日本語版2008』が発行された。これは欧米以外では初めての版であり、[[和食|和食店]]や[[寿司屋]]が3つ星を取得した初めての例である。格付けは「3つ星」がパリに次ぐ8店だったのを始め、掲載店全てが「1つ星」以上を獲得、星の合計は190を超えた。発売に際しミシュランガイド総責任者、ジャン=リュック・ナレは「東京は、世界一の美食の町である」と語った<ref name=asahi>[http://www.asahi.com/food/news/TKY200711190221.html asahi.com 三つ星レストランは8軒 - ミシュランガイド東京版発表] 『朝日新聞』 2007年11月19日</ref>。
'''Bib'''はコストパフォーマンスに優れたレストランやホテルに与えられる記号である。レストランの場合は手の込んだ料理を比較的低価格で提供している事実を示す。記号にはミシュランのロゴマークに使われている'''ムッシュ・ビバンダム'''が使用されている。Bibによる評価はレストランは[[1997年]]から、ホテルは[[2003年]]から加えられるようになった。
 
発売日から4日間で初版12万部をほぼ完売、発売初日に9万部も売れたのは、ミシュランガイド史上初めてであったという<ref>[http://www.michelin.co.jp/media_center/news/corporate/071127.html 「ミシュランガイド東京」、発売初日に9万部販売 日本語版12万部をほぼ完売し、重版決定] 日本ミシュランタイヤ(プレスリリース、2007年11月27日)</ref>。
==== 調査方法 ====
ミシュランは[[広告]]非掲載に加え、評価対象に関しては匿名調査を基本とする。フランスには料理評論家は批評するレストランで食事をする場合代金を支払わないという慣習があるが、匿名調査なので調査員は代金も全額支払う(但し身分を明かした後に写真撮影の為に注文する料理の代金は払わず店に持たせる<ref>[http://book.asahi.com/news/TKY200711210415.html ミシュラン東京版発売 星150店「納得」「疑問」の声]</ref>)。調査員は地域を固定されることなく、各地を転々として評価を行う。
 
=== 調査 ===
また、調査員の身分を明かしてレストラン・ホテルのオーナーやシェフについて聞き取りを行う「訪問調査」を組み合わせて評価が行われる。全てのレストランは少なくとも18箇月に一度は「試食調査」が行われ、星を与えられたレストランは年に数回という頻度で行われているといわれる。
予め選び出された東京のレストラン約1000軒を覆面調査員が1年半を掛けて訪問、盛り付けの見た目、味、食材の鮮度、仕込みの度合い等といった観点から星が評価された<ref name=asahi/>。2008東京版の調査員はフランス人3名、日本人2名の計5名で、調査対象は約1500軒だったとも言われる<ref name=asaduma/>。日本ではフランス人の来店客は目立つことに加え、下記の様な特異な行動を取ることで調査員であることが店側に見破られることもあったという<ref name=asaduma/>。
 
最終的な決定は調査員の報告書とミシュランガイドに織り込まれている読者カードにより寄せられた読者の意見なども加味して、審査員全員の合議によって行われる。
 
==== 評価の影響 ====
レッド・ミシュランから三つ星を与えられたレストランやホテルは多くの観光客を見込めるようになり、オーナーやシェフがマスコミに取り上げられるようになる。また食品や食器の製造企業からのスポンサー契約なども見込める。この為三つ星から二つ星に評価が下がる場合には、その影響を考慮して事前に通告がなされる。評価を下げられたことを苦にして料理人が自殺したことがあるという噂もある。
 
例えば[[1966年]]、[[パリ]]で人気のあったルレー・デ・ポルクロールのシェフだったアラン・ジックが自殺。ミシュランの評価が下がったことを気にしたのが原因と噂された。
 
また[[1980年代]]に[[キュイジーヌ・モデルヌ]]の旗手として天才フランス料理人ともてはやされた[[ベルナール・ロワゾー]]が[[2003年]]に自殺。自殺時期がガイドブックの改訂時期と重なった為、ロワゾーが切り盛りしていたラ・コート・ドールの評価でミシュランから三つ星から二つ星への降格が打診されたのが原因と噂された。2003年版のミシュランガイドではラ・コート・ドールは三つ星を維持<ref>レストラン・ガイドの『ゴー・ミヨ』誌は同年に19点から17点に評価を落とした</ref>していた。
 
自他共に世界で最も名の知られた[[フランス料理]]レストランと豪語<ref>[[1947年]]から[[2006年]]までオーナーの座にあったクロード・テライユは「世界のレストランは2種類ある。トゥール・ダルジャンとそれ以外のレストランだ」と語っている(宇田川悟『フランス料理は進化する』文芸春秋 ISBN 4-16-660219-3)</ref>し、三つ星システムが始まった1933年から継続して三つ星を維持していた[[トゥール・ダルジャン]]は[[1996年]]に二つ星降格、オーナーが一時失踪したとも伝えられた。観光客が入り過ぎて料理を味わう雰囲気では無くなった為に降格されたのだと噂された。2006年版では更に一つ星に降格となった。
 
ミシュランの評価を下げられたことでミシュランガイドへの掲載が無くなってしまった例もある。パリの一流レストランに数えられ、ミシュランからも三つ星を与えられていたマキシム(Maxim's)は[[1978年]]版から6つの店が突然掲載されなくなった。これに対してマキシム側は「当方はレストランではなく劇場。従ってミシュランは正しい」と回答した。実際のところはミシュラン側が三つ星から二つ星への降格を打診し、これを受けてマキシムがレストランとしての掲載を拒否した為である。
 
ミシュランの調査員を16年間務めたパスカル・レミ(Pascal Remy)は『L'Inspecteur Se Met a Table』を出版<ref>日本語訳は、吉田良子(訳)『裏ミシュラン』バジリコ ISBN 4901784587</ref>。この本の中で三つ星を与えられているレストランの中には、既にその価値が無くなっているにもかかわらず、しがらみから星の数を落とせない店も在る等の実態を公にした。
 
==== ミシュランガイド東京 ====
===== 概要 =====
2007年11月、『ミシュランガイド東京日本語版2008』が発行された。同書はアジアで初めてのミシュランガイドであり、史上初めて和食店や寿司店が三つ星を取得し話題を集めた。発表の際、覆面調査員は東京の料理の水準の高さに驚いたという。その結果三つ星はパリに次ぐ8店、一つ星に関しては世界で最も多い店舗数になり、合計の星の数は190を超えた。ミシュランガイド総責任者のジャン=リュック・ナレは「掲載されたすべての店に星がついたのは世界初」と指摘し「東京は、世界一の美食の町」と語った<ref name=asahi>「三つ星レストランは8軒、ミシュランガイド東京版発表」『[http://www.asahi.com/food/news/TKY200711190221.html asahi.com:三つ星レストランは8軒、ミシュランガイド東京版発表 - 食]』朝日新聞社、2007年11月19日。</ref>。有名店の中には一切の取材を断る店もあるが、ミシュランガイドの掲載対象となるのは取材を受け入れた店のみである。2007年11月24日に放送された[[ブロードキャスター]]の中でナレは「東京版で星を獲得した店から掲載を拒否された事はない」としているが、日本料理店『麻布かどわき』はミシュランからの評価を断っている<ref>[http://book.asahi.com/news/TKY200711210415.html ミシュラン東京版発売 星150店「納得」「疑問」の声]</ref>。発売日から4日間で日本語版の初版12万部をほぼ完売しており、ナレは「発売初日に9万部も売れたのは、ミシュランガイド108年の歴史においても初めて」としている<ref>日本ミシュランタイヤ プレスリリース [http://www.michelin.co.jp/media_center/news/corporate/071127.html 「ミシュランガイド東京」、発売初日に9万部販売 日本語版12万部をほぼ完売し、重版決定!]</ref>。
 
===== 評価 =====
評価の正確性については賛否両論あり、三つ星を獲得した店が[[Yahoo! Japan]]の掲示板では5点満点中平均3.09点だった例もある<ref>[http://www.j-cast.com/2007/11/20013580.html J-CASTニュース : ミシュラン3つ星「すきや橋 次郎」 「最悪」から「絶賛」までの評判]、[[2007年]][[11月20日]]。</ref>。また、東京版と名乗りながら東京23区の内8区の料理店しか取り上げられていなかったり、[[焼き肉]]、[[焼き鳥]]の店が一店も掲載されておらず、料理の分野に偏りがあるとの指摘がある<ref name=akada>赤田康和・松村北斗「ミシュランに賛否――質の高さ気づかせた/評価ばらつき」『朝日新聞』45288号、朝日新聞東京本社、2007年11月22日、31面。</ref>。和食を適切に評価できるのかとの疑問の声に対しては、ナレは調査員に日本人を加えており和食への評価に問題はないと主張している。フランス人調査員の中には、[[モズク]]など和食に使用される食材に嫌悪感を示す者がおり、店側が気を遣い通常のメニューとは異なる食材で料理を提供した例があるとの報道がある<ref name=asaduma>浅妻千映子「都内有名店が明かす『ミシュラン』バレバレ覆面調査――フランス人がやってきて『もずくは苦手です』…」『週刊文春』49巻46号、文藝春秋、2007年11月29日、34頁。</ref>。<!--誤植や店舗名の表記間違いが存在するが、2007年[[12月]]に発行された第2版でも修正されていない。-->
 
===== 覆面調査 =====
一説には16万軒あるといわれる東京のレストランの中から約1000軒を選び出した一覧表を作成し、覆面調査員がその一覧表を元に一年半を掛けて訪問し、盛り付けの見た目、味、食材の鮮度、仕込みの度合い等といった観点で星を評価している<ref name=asahi/>。2008東京版での覆面調査にあたっては、フランス人3名、日本人2名の計5名の覆面調査員が約1500軒を調査した<ref name=asaduma/>。しかし日本の店では欧州系の来店客は目立つ事に加え、一般客では見られない下記の様な行動を取る点を店側に不審に思われる等した為、覆面調査員である事が店側に見破られることもあったとされる。<ref name=asaduma/>。
* 席に着いた直後に皿を裏返してしげしげと眺める
* 2名で来店し、1人がアラカルト、1人がコースで料理を注文する
* コースの内数皿だけ省略するよう要望する
* 電子辞書で食材を調べる
* メモを取ってい
 
=== Les guides gourmands 掲載店===
掲載対象となるのはミシュランの取材を受け入れた店のみであり、総責任者ナレは日本のテレビ番組で「東京版で星を獲得した店から掲載を拒否されたことはない」としている<ref>情報番組 『[[ブロードキャスター]]』 (TBS) 2007年11月24日放送</ref>。ミシュランからの取材や撮影依頼を受けたものの、その手法を嫌って協力を拒否、掲載されなかった有名店<!--日本料理店『麻布かどわき』-->もある<ref name="asahi1121"/>。
[[意訳]]すると「[[食道楽]]の手引き書」となる。フランスの地方の代表的なレストラン等を扱っている。
 
=== 旅行ガイド批判 ===
格付け結果には異論があり、3つ星を獲得した店が[[Yahoo! Japan]]の掲示板では5点満点中平均3.09点だった例がある<ref>[http://www.j-cast.com/2007/11/20013580.html ミシュラン3つ星「すきや橋 次郎」 「最悪」から「絶賛」までの評判] 『J-CASTニュース』 2007年11月20日</ref>。また、東京版と名乗りながら東京23区のうち8区の店舗しか取り上げられていない、[[焼き肉]]・[[焼き鳥]]店の掲載が皆無など料理の分野に偏りがある、などの批判がある<ref name=akada>赤田康和・松村北斗 「ミシュランに賛否 - 質の高さ気づかせた/評価ばらつき」 『朝日新聞』 45288号、朝日新聞東京本社、2007年11月22日、31面。</ref>。フランス人調査員の中には、[[モズク]]など和食に使用される食材に嫌悪感を示す者がおり、店側が気を遣い通常のメニューとは異なる食材で料理を提供した例もあったという<ref name=asaduma>浅妻千映子 「都内有名店が明かす『ミシュラン』バレバレ覆面調査 - フランス人がやってきて『もずくは苦手です』…」 『週刊文春』 49巻46号、文藝春秋、2007年11月29日、34頁</ref>。<!--誤植や店舗名の表記間違いが存在するが、2007年[[12月]]に発行された第2版でも修正されていない。-->フランス人が和食を適切に評価できるのかとの疑問に対して、総責任者ナレは調査員に日本人が加わっていることで問題はないとしている。
=== グリーン・ミシュラン ===
'''グリーン・ミシュラン'''(英:Green Michelin。'''ギド・ヴェール'''(仏:Le Guide Vert)、'''緑ミシュラン''')は、主に対象地域の観光地を紹介しているガイドブック・シリーズである。その名の通り緑一色の装丁で仕上がっている。
 
== その他のガイドブック ==
レッド・ミシュランと同様に観光地の見所を星の数で評価している。見所は通常アルファベット順にならべられ、写真<ref>一時期までは写真をまったく使用せず図版のみだった</ref>、イラスト、平面図などで旅行者に理解を与える工夫がなされている。2007年には日本編が作られ、多くの日本の旅行代理店が外国人向けの企画の際、参考文献として使われることが多い。
=== 観光ガイド ===
緑色の装丁を特徴とし、対象地域の観光地を案内するガイドブック・シリーズである。
 
レストランガイドと同様、観光地の見所を星の数で評価している。項目は通常アルファベット順にならべられ、写真<ref>一時期までは写真をまったく使用せず図版のみだった</ref>、イラスト、平面図などで旅行者に理解を与える工夫がなされている。<!--2007年には日本編が作られ、多くの日本の旅行代理店が外国人向けの企画の際、参考文献として使われることが多い。-->
 
=== 実用旅行ガイド ===
2005年3月から発行されている実用旅行ガイドブック (「'''Voyager pratique)'''」。現在、以下のタイトルが発行されている。
*[[フランス語圏]]
**フランス本土:[[ブルターニュ半島|ブルターニュ地方]]、[[コルシカ島]]
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**[[中華人民共和国]]
**[[日本]]
***日本版 (Michelin(Michelin Voyager Pratique Japon)Japon) は、「[[ビジット・ジャパン・キャンペーン]]」の一環として、ミシュラン・[[国土交通省]]・[[国際観光振興機構]] (JNTO)(JNTO)[[国際観光サービスセンター]] (ITCJ) (ITCJ)の連携で、日本を訪れる外国人観光客向けの実用旅行ガイドとしてつくられた。フランス語版のみ発行。
 
=== Guide escapade短期休暇用ガイド ===
「'''Guide escapade'''」と名付けられ、主に[[都市]]を対象としたする短期滞在用ガイドブック。ポケットサイズで発行されている。
*フランス:[[ブルターニュ半島|ブルターニュ地方]]、[[ペイ・ド・ラ・ロワール地域圏|ロワール]]の古城、[[パリ]]
*[[ベネルクス]]:[[アムステルダム]]、[[ブルッヘ|ブルージュ]]-[[ゲント|ガン]]-[[アントウェルペン|アンベール]]([[フランドル]]地方)、[[ブリュッセル]]
128 ⟶ 107行目:
*[[北米]]:[[フロリダ州]]、[[ニューヨーク]]、[[サンフランシスコ]]、[[モントリオール]]
*[[アジア]]:[[タイ王国]]
 
=== バリューなレストランガイド ===
「'''Les guides gourmands'''」。[[意訳]]すると「[[食道楽]]の手引き書」となる。フランスの地方の比較的安価なレストラン等を掲載している。
 
==雑学==
*[[1944年]]、[[ノルマンディー上陸作戦]]を行ったアメリカ軍は、その前線に「ミシュランガイド・1939年版」を極秘扱いで写真電送したという{{要出典}}。
*フランスにおけるミシュランガイド(レストラン・ホテル)の表紙の表記は、従来『Le GUIDE ROUGE』だったものが[[2004年]]版からは単に『Michelin』に戻った。<!--ミシュランの他のガイドブックと区別する為「ギド・ルージュ」は愛称として使用される。-->
 
== 脚注 ==