「ジャン=ピエール・オーモン」の版間の差分

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Azucar (会話 | 投稿記録)
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父親はデパートのオーナー。両親共にユダヤ系で、叔父に俳優がいた。16歳から[[パリ国立高等音楽・舞踊学校]]([[コンセルヴァトワール]])の演劇科に学び、21歳の時にプロとして初舞台を踏む。卒業後は[[ルイ・ジューヴェ]]の門に入り、[[ノエル・カワード]]作『生活の設計』やその他の舞台に出演する。
 
[[1931年]]に映画デビュー後、『[[白き處女地]]』([[1934年]])、『[[海のつはもの]]』([[1936年]])等の作品に出演して若い2枚目として人を博したが、[[1940年]]にドイツ軍のパリ占領を逃れて渡米する。
 
アメリカで舞台に出演し、[[サンフランシスコ]]での上演中、[[メトロ・ゴールドウィン・メイヤー]]首脳部から声がかかり、アメリカでの映画出演第一作『[[ブリタニーの任務]]』(1943年)に出演する。同年、『[[ロレーンの反撃]]』を撮り終え、フランス軍に参職する。
 
[[ティナ・オーモン]]は最初の妻であり「[[テクニカラー]]の女王と呼ばれた女優のひとり、[[ドミニカ共和国]]出身の女優[[マリア・モンテス]]との間の実娘。
 
==主な出演作品==