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'''うた沢'''(うたざわ)は、[[端唄]]から派生した江戸後期の短い歌謡。
==概略==
創始は[[歌沢笹丸]](うたざわ ささまる、? - [[1856年]]〈本名:笹本彦太郎〉)。[[本所]]]割下水に住む[[旗本]]の隠居で、畳屋の寅・ご家人の柴田金・仕事師の茂兵衛・火消しの音・稲荷の滝・魚屋の定などの同好者を集めて好きな[[端唄]]を聞かせていた。しかし端唄は聞かせどころがなく余りにあっさりとしていたところから工夫を加え、歌沢節と名づけ、自身は歌沢笹丸と名乗った。のちに官に乞うて歌沢大和大掾を受領する。
 
笹丸歿後の翌年、畳屋の寅が寅右衛門と名乗り歌沢初代の家元となる。
創始は歌沢笹丸(うたざわ ささまる、? - 1856年〈本名:笹本彦太郎〉)。本所割下水に住む旗本の隠居で、畳屋の寅・ご家人の柴田金・仕事師の茂兵衛・火消しの音・稲荷の滝・魚屋の定などの同好者を集めて好きな端唄を聞かせていた。しかし端唄は聞かせどころがなく余りにあっさりとしていたところから工夫を加え、歌沢節と名づけ、自身は歌沢笹丸と名乗った。のちに官に乞うて歌沢大和大掾を受領する。
 
その4年後にご家人の柴田金が哥沢の初代家元となり、芝金と名乗った。(これはご家人であった畳屋出身の家元の傘下に入るのを潔しとしなかったためと言われている)。
笹丸歿後の翌年、畳屋の寅が寅右衛門と名乗り歌沢初代の家元となる。
 
その四年後にご家人の柴田金が哥沢の初代家元となり、芝金と名乗った。(これはご家人であった畳屋出身の家元の傘下に入るのを潔しとしなかったためと言われている)。
 
いずれにせよ、発生は[[嘉永]]年間以後とされ、歌沢(寅派)・哥沢(芝派)を名乗る両派が生まれたので、共通の「うた沢」と表記されるようになり、今日に至っている。