「天才・たけしの元気が出るテレビ!!」の版間の差分
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==概要==
*[[ドキュメントバラエティ]]の元祖であり、「テレビとは真実を伝えるもの」という社会的な共通認識を、根本から打ち砕いた革命的な番組だったと評されている。現在では一般視聴者にも「テレビには[[演出]]や[[ヤラセ]]がある」という認識が広まっているが、この番組が放送された当時は「テレビに映っているのは真実」と信じるナイーブな視聴者がほとんどだったため、視聴者に衝撃と困惑を与えたと同時に大きな話題を呼んだ。現実なのか[[フィクション]]なのか[[パロディ]]なのか不明な事柄をテレビカメラが執拗に追いかけ、事の真偽は全く不明なまま
*その反面、たけしが当時[[PTA]]に嫌われていたことに加え、「内容がバカバカしい」などといった理由から[[低俗番組]]という批判も存在した。
*名もない市井の人々にスポットを当てて話題にし、様々な人気者を生み出した。従来のバラエティ番組は基本的に番組内だけで(出演芸能人だけで)ストーリーが進行していたのに対し、普通に生活している一般人を主役に祭り上げることで、番組の内容にリアリティが生じるという効果があった。「○○区にすごいそば屋のオヤジがいた!」、「信じられないほどお金持ちのお嬢様が実在した!」など、よく考えてみれば視聴者にとってどうでもいい企画も数多く放送されたが、バカバカしさとリアリティとの奇妙なバランスが高視聴率を呼んだ。
*その一方、番組の都合で急に人気者に仕立て上げられた人物・会社・商店街などが、番組の企画が終了した時点であっさり置き去りにされてしまうことも多かった。寂れた商店街に人気タレントがおしかけて一時的にブームを作り上げ、あたかも[[町おこし]]をしたように思わせる
*お笑いバラエティ番組であるが、[[松方弘樹]]、[[原田大二郎]]、[[宝田明]]などの二枚目俳優や、[[野口五郎]]などの有名歌手がレギュラー出演しており、これも独特の雰囲気を作り上げていた。これは当初、テレビドラマを制作する予定でキャステイングし、スケジュールを空けてもらっていたためである。当時、二枚目俳優や有名歌手がバラエティに出演してバカげた企画に付き合う例は少なく、この点も画期的だった。また二枚目俳優や有名歌手がレギュラーであることが、「どう考えても嘘っぽい内容だが、あの俳優が出ているのだから本当かも知れない」と視聴者に思わせる効果もあった。もしも旧来のバラエティ番組と同様、出演者が[[お笑いタレント]]ばかりだったなら、「どうせ嘘だろう」と思われるだけだった可能性が高い。
*「元気が出る商事」という設定で、出演者に「社長」「部長」「課長」「秘書」といった肩書きがあるのは、企画段階では会社を舞台にしたコメディー番組だった名残である。
*1988年頃からコメディー色が薄れ、「ダンス甲子園」など出演者が大きな目標に向かって努力する様子をドキュメントするという、若干シリアス的な内容が目立つようになる。後にドキュメントバラエティと言われるようになる路線であり、この時期(1988年頃~1995年頃)を番組の全盛期と見る向きもある。
*1988年7月には、「ウィッキーさんのワンポイント英会話に出よう」という企画で、[[ズームイン朝]]の「ワンポイント英会話」に鞍馬天狗扮したたけしとリポーターに徹した高田が突如通行人として出演した。ウィッキーに対してちょっかいを出すたけしの奇妙な行動に当時キャスターの[[福留功男]]も「今写っているのはたけしさんじゃないですか?」と声を掛けて見破った。そのシーンはズームイン朝始まって以来、史上に残る最高傑作の爆笑シーンとなった。
*[[1996年]][[8月25日]]の放送において、前番組の「[[24時間テレビ「愛は地球を救う」|24時間テレビ]]」でチャリティーマラソンを走った[[赤井英和]]の日本武道館の到着が遅れ、「24時間テレビ」を放送時間を15分延長したことによって、本編は相当カットされて放送された
*たけしは第1回目の放送の時に、前番組の『[[久米宏のTVスクランブル]]』について「あの番組は終わったのではなくやめさせられたの。」と揶揄した。
*たけしが[[フライデー襲撃事件]]で謹慎
*番組前の5秒予告スポットは、たけしが「'''この後は、○○!'''」と
==番組の終焉とその後==
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