「上赤坂城」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
編集の要約なし
11行目:
[[元弘の乱]]の主要な舞台となった。[[元弘]]2年([[1332年]])の正成再挙兵後、再び[[下赤坂城]]が落城すると、新たに築いたが当城が楠木氏の本城となり、幕府軍に対した。翌元弘3年([[1333年]])、上赤坂城も落城し、正成は千早城に転じてさらに抗戦を続け、幕府軍を苦しめた。
 
周辺の金剛山の尾根上には下赤坂城とともに猫路山城・国見山城・枡形城等の出城が築かれており、赤坂城塞群を形成していた。この城塞群は[[南北朝時代 (日本)|南北朝期]]にも南朝方の拠点となったが、[[延文]]5年([[正平 (日本)|正平]]15年、[[1360年]])に北朝方の手に落ちた。