「佐竹義信」の版間の差分

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文明8年(1476年)、佐竹氏の第14代当主・佐竹義治の4男として生まれる。兄の佐竹義武が戦死したため、その[[養子]]として兄の[[家督]]を継いで[[久米城]]主となった。兄の佐竹義舜をよく助け、義舜が[[永正]]14年([[1517年]])に死去した後は甥に当たる[[佐竹義篤]]を実弟の佐竹政義と共に後見人として補佐した。
 
天文2年(1533年)8月12日に死去。享年58。家督を長男の佐竹義住が継いだ。
 
なお、佐竹氏の居城である太田城の北方にある久米城を居城にしたことから、「北殿」と称され、子孫は北殿家として佐竹本家の補佐に当たった。