「ニハーヴァンドの戦い」の版間の差分

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== 背景 ==
当時、イスラーム成立後の大征服の時代で、正統カリフの下にアラブ・[[ムスリム]]軍は[[アラビア半島]]から領地を拡大してゆきいた。いっぽう、サーサーン朝は[[ホスロー2世]]時代の[[東ローマ帝国]]との長い戦いや、その過程後の王位争いなど国力が消耗しており、[[カーディシーヤの戦い]]([[636年]])やニハーヴァでイスラム軍に敗れるなど、オリエ戦いが起こ大国だった。この戦いまでに、アラブ軍サーサーン朝すっかり弱体化していた。その後も新興のアラブ軍の前にサーサーン朝軍を敗退させてを重ね、ついにはアラブ軍がサーサーン朝の本拠地[[イラク]]へ進出。首都[[クテシフォン]]は陥落し、[[ザグロス山脈]]を越えて642年、ニハーヴァンドの戦いが起こった。
 
== 影響 ==