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その後も草創期の[[鎌倉幕府]]において、長老格として重きをなした。奥州[[藤原泰衡]]を征伐する際、頼朝は後白河法皇の院宣を得られず苦慮していた。しかし景義が、奥州藤原氏は源氏の家人であるので誅罰に勅許は不要なこと、戦陣では現地の将軍の命令が朝廷の意向より優先されることを主張。その意見が採用された。後に出家している。[[嫡男]]の[[大庭景兼]]が跡を継いだ。
 
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