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[[画像:SyoseienBoukakaku.jpg|thumb|240px|渉成園、傍花閣]]
'''渉成園'''('''しょうせいえん''')は、[[京都府]][[京都市]][[下京区]]にある[[真宗大谷派]]本山[[真宗本廟]](東本願寺)の飛地境内地。国の[[名勝]]([[1936年]]指定)。
 
東本願寺の東方約150mに位置し、ほぼ200m四方の正方形をなす。面積3.4ha。西は[[間之町通]]、東は[[河原町通]]、北は[[上珠数屋町通]]、南は[[下珠数屋町通]]に接する。園の名称は、中国[[六朝]]時代の詩人[[陶淵明]]の「園日渉而成趣」の詞にちなむ。また、周囲に枳殻([[カラタチ]])が植えてあったことから、一般に'''枳殻邸'''('''きこくてい''')とも通称される。
 
9世紀末に[[嵯峨天皇]]の第12子 [[源融]]が奥州[[塩釜]]の風景を模して作庭した六条[[河原院]]の故地とされる。付+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++近に今ものこる塩竈町や[[塩小路通]]などの地名は、その名残りという。[[1641年]]、[[徳川家光]]から東本願寺に寄進され、[[1653年]]、[[石川丈山]]によって[[書院式]]の[[回遊庭園]]として作庭された。以後、近世・近代を通じて門首の隠退所や外賓の接遇所として用いられるなど、東本願寺の飛地境内地として重要な機能を果たした。また、[[1678年]]から [[1754年]]の間は、西隣に接して東本願寺の'''学寮'''([[大谷大学]]の淵源)が置かれていた。
 
園内には、全敷地の6分の1を占める広大な印月池をはじめとする[[頼山陽]]撰の十三景が広がり、大書院の閬風亭や、漱枕居・縮遠亭・代笠席の3茶室、第21世[[厳如]]の持仏堂であった園林堂等、瀟洒な諸殿舎が点在する。殿舎内部には、石川丈山や[[狩野派|狩野]]永納、[[棟方志功]]等の作品が残る。庭園は作庭時の姿を残すが、殿舎は幕末の罹災により焼失し、[[1865年]]以後明治初期までに再建されたもの。
 
年間を通じて一般に公開され++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++ており、東本願寺で行われる諸行事等の際には、種々の催しの会場として用いられている。
 
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