「ヨハネス11世 (ローマ教皇)」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
PipepBot (会話 | 投稿記録)
m ロボットによる 追加: ro:Papa Ioan al XI-lea
m リンクの修正
7行目:
マロツィアが排除されると、ヨハネス11世は弟アルベリコ2世([[932年]] - [[954年]])の統制下に置かれた。教皇の自由になる唯一の公務は純粋に霊的な義務を果たすのみとなった。他の全ての公務はアルベリコ2世を通じて行われた。これは世俗的な事のみならず、教会内部の事柄においてさえそうであった。
 
アルベリコ2世は、[[パリウム]]を[[コンスタンヌーポリ総主教庁|コンスタンティノポリス総大主教]]のテオフィラクトス([[935年]])や、[[ランス]][[大司教]]アルトー([[933年]])へ与えよと執拗に迫った。教皇座が最も虐げられていた時代にその座にいたのがヨハネス11世であった。しかし彼はその頃多くの特権を[[クリュニー修道院]]に与えており、それがのちの教会改革運動に繋がることとなる。
 
==外部リンク==