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延宝8年(1680年)10月9日、松平直矩(越前松平家の前橋松平家)の三男・源之助として生まれる。元服して父・直矩の偏諱を授与され矩栄と名乗る。
 
[[元禄]]6年([[1694年]])、矩栄は[[越後騒動]]で改易された[[松平光長]]の養嗣子となり、光長の偏諱授与され釆女長矩と改めた。そして[[元禄]]10年([[1697年]])に光長の隠居に伴ってその家督を継ぎ、さらには翌年に津山藩10万石を与えらに加増さ[[国主]]として遇された。(のちに将軍[[徳川家宣]]の賜諱を受け'''宣富'''に再度改名した)。同年、年貢を高く設定したために農民一揆([[高倉騒動]])が発生する。この反省から、宣富は庄屋制度や大庄屋制度の改革による農村支配制の強化、財政改革を行なった。
 
享保6年(1721年)2月7日に死去。享年42。後を子の松平浅五郎が継いだ。
 
{{先代次代|[[津山藩|越前松平氏(津山藩初代)藩主]]|1698 - 1721|[[森衆利]]|[[松平浅五郎]]}}
{{先代次代|[[越前松平氏|松平越後守家当主]]|1697 - 1721|[[松平光長]]|[[松平浅五郎]]}}
 
[[Category:江戸の大名|まつたいら のふとみ]]