「極付幡随長兵衛」の版間の差分
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初演と改訂版について |
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初演時、殺害される長兵衛のうめき声が真に迫っていて好評であったが、これは團十郎が、[[1868年]](明治元年)に養父河原崎権之助が強盗に殺害された時、養父の瀕死の声を聞いた経験によるものである。また、團十郎は殺害前の立ち回りを竹本の浄瑠璃を廃して柔術をありのままに演じる写実的な演出に変え現代にも受け継がれている。
[[中村吉右衛門 (初代)|初代中村吉右衛門]]、[[市川中車 (7代目)|七代目市川中車]]、[[松本幸四郎 (7代目)|七代目松本幸四郎]]、[[松本白鸚 (初代)|初代松本白鸚]](八代目松本幸四郎)らが長兵衛を得意とした。また
水野は[[尾上菊五郎 (6代目)|六代目尾上菊五郎]]、[[市川左團次 (2代目)|二代目市川左團次]]、[[実川延若 (3代目)|三代目実川延若]]、[[尾上松緑 (2代目)|二代目尾上松緑]]が持ち役とした。
名セリフも多い。上記のセリフのほか、序幕の「名が幡随院の長兵衛でも仏になるにゃアまだ早え。」とか二幕目の「天秤棒を肩にかけ」、三幕目の「時効も丁度木の芽時」など、黙阿弥独自のリズミカルなセリフが有名で、聞きどころとなっている。
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