削除された内容 追加された内容
m +Cat、没日等
YOSHI438 (会話 | 投稿記録)
m編集の要約なし
1行目:
'''長勢'''(ちょうせい、[[寛弘]]7年([[1010年]]) - [[寛治]]5年[[11月9日 (旧暦)|11月9日]]([[1091年]][[12月21日]]))は、[[平安時代]]中期の[[仏師]]。[[円派]]の祖。[[定朝]]の弟子。仏師初の[[法印]]。
 
初め定朝の弟子だったと伝えられる。長勢の仏師としての事績はまず、[[康平]]7年([[1064年]])に製作した[[広隆寺]]の日光・月光両菩薩立像、及び十二神将立像(いずれも[[重要文化財]])が挙げられる。また彼は、[[法成寺]]([[天喜]]6年=[[1058年]]に焼失していた)の再興にも参加し、[[治暦]]元年(''1065年'')に[[金堂]]の造仏賞として、[[僧位|法橋]]に叙された。[[延久]]2年([[1070年]])には[[円宗寺]]金堂の造仏をも担当し、高さ二丈の[[毘盧遮那仏]]、一丈六尺の[[薬師如来]]と[[一字金輪仏頂|一字金輪]]、その他[[梵天]]・[[帝釈天]]・[[四天王]]の、合わせて9体の巨像群を同年10月から12月末にかけてのわずか2ヶ月間で作り上げ、大仏師[[覚如]](円宗寺講堂の造仏を担当)とともに法眼に叙せられた。長勢の最も名高い業績は[[法勝寺]]の造仏で、まず講堂・阿弥陀堂の諸仏によって[[承暦]]元年([[1077年]])法印に昇叙され、[[応徳]]2年([[1085年]])に常行堂九体阿弥陀仏も造立した。寛治5年11月9日、82歳で没した。
 
== 作品 ==
8 ⟶ 10行目:
 
{{People-substub|ちようせい}}
[[Category:日本の僧]]
[[Category:仏師|ちようせい]]
[[Category:1010年生|ちようせい]]