「一〇〇式輸送機」の版間の差分

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== 概要 ==
昭和14年(1939年)に[[大日本帝国陸軍|日本陸軍]]は、三菱に対して新型輸送機の開発を指示した。指示の主な内容は[[九七式重爆撃機]]の胴体部分を改設計し、人員輸送を主目的とするというものだった。昭和15年([[1940年]])に初飛行した本機の諸性能は、母体である[[九七式重爆撃機]]の特性をそのまま引き継いでおり、飛行試験でも特に問題はなかったため一〇〇式輸送機として制式採用された。九七式重爆撃機との胴体以外の相違点は、低翼となったことと、爆撃機においては被弾火災の面から嫌われた外翼内燃料タンクを設け、必要に応じて使用できるようになっていたことなどである。後に一〇〇式一型輸送機と呼ばれるこの機体は[[ハ5|ハ5改]](出力850hp)を装備しており、[[太平洋戦争]]初期の[[パレンバン]]攻略作戦等で[[落下傘部隊]]の輸送に活躍した。落下傘部隊用には、座席をすべて木製ベンチとする、扉を内開きの大型のものとする、指揮官用のぞき窓の設置、客席両側窓に銃座を設置、などの改修が施されている。なお、一型は一部の機体が海軍に譲渡されてL4M1(三菱双発輸送機)として試用された。
 
昭和17年([[1942年]])には、エンジンを[[三菱 瑞星|102(102]](出力1,080hp)に換装し主翼の強化や貨物室の増設を行った二型(一〇〇式二型輸送機)が登場し、陸軍の主力輸送機として兵員輸送、グライダー曳航、物資輸送等の任務で終戦まで活躍した。二型において行われた改修はエンジン換装と主翼強化の他は以下のようなものである。
::・中央翼燃料タンクに排出装置を設置(23号機から)
::・客室窓を利用した非常脱出口の設置(2号機から)