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'''永井 尚征'''('''ながい なおふさ'''、[[寛永]]14年([[1637年]]) -  - [[寛文]]5年[[7月19日 (旧暦)|7月19日]]([[1665年]][[8月29日]]))は、[[山城国|山城]][[淀藩]]の世嗣。
 
第2代藩主・[[永井尚征]](のち[[丹後国|丹後]][[宮津藩]]主)の長男。母は[[毛利秀元]]の娘。正室は[[立花忠茂]]の娘。子は娘([[稲葉正辰]]正室)。官位は従五位下、[[越中国|越中]]守。
 
淀藩嫡子として生まれ、[[承応]]元年([[1652年]])[[徳川家綱]]に拝謁。翌承応3年([[1653年]])叙任するが、[[家督]]相続前の寛文5年(1665年)に29歳で早世した。代わって、弟の[[永井尚長]]が嫡子となった。