「柳生藩」の版間の差分

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Roga246 (会話 | 投稿記録)
末裔の柳生博氏を載せました。
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藩祖である[[柳生宗矩|宗矩]]の死後、1万2500石の所領は、有名な長男の[[柳生三巌]](十兵衛)に8300石、三男の[[柳生宗冬]]に4000石、四男の六丸([[列堂義仙]])に200石、と分知されたため、柳生氏は大名から[[旗本]]となった。三巌の死後、宗冬がその家督と遺領を引き継ぎ(4000石は幕府に返上)、さらに[[寛文]]8年([[1668年]])1700石を加増され、1万石を領する大名に復帰する。藩庁は柳生陣屋。
 
代々の藩主は将軍家の剣術指南役を務めるため[[江戸]]に[[定府]]していた。
 
以後、柳生氏が13代にわたって支配し、[[明治時代]]を迎えた。