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== 略歴 ==
沼津城に初めて本拠を置いた近世大名は、[[相模国|相模]][[小田原藩]]主・[[大久保忠隣|大久保相模守忠隣]]の叔父に当たる[[大久保忠佐|治右衛門忠佐]]である。忠佐は[[慶長]]6年([[1601年]])2月、[[上総国|上総]]茂原から2万石で入るが、入封からわずか12年後の慶長18年([[1613年]])に死去し、嫡子の[[大久保忠兼|因幡守忠兼]]も同年に父に先立って死去していたため、無嗣断絶で[[改易]]となった。そのため、大きな事跡は残されていない。
 
その後、沼津の地は[[駿府藩|駿河府中藩]]が置かれたときはその領地となり、それ以外の時期は幕府領となり、城も破却された。
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