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==歴史==
前5世紀、古代ギリシア・[[アテナイ]]の丘に立つパルテノン神殿が修築された。エルギン・マーブルは、この神殿に彫り込まれていた諸彫刻のことを指す。1800年、イギリスの外交官であったエルギン伯爵トマス・ブルース([[エルギン伯ジェームズ・ブルース|ジェームズ・ブルース]]の父)が、[[オスマン帝国]]の特命大使として[[イスタンブル]]に赴任すると、このパルテノン神殿の調査を始めた。(当時のギリシアはオスマン帝国領である。)神殿彫刻に関心を抱いたエルギン伯は、当時の[[スルタン]]から許可を得て、多くの彫刻を切り取ってイギリスへ持ち帰った。当時のオスマン帝国は[[ナポレオン・ボナパルト|ナポレオン]]率いるフランス軍の[[エジプト遠征]]を受けた直後であり、このフランス軍を撃退したイギリスと良好な関係にあった。19世紀前半、[[ロマン主義]]の風潮が高まる中で、エルギン・マーブルがイギリスで公開されると、多くの人々の古代ギリシアへの憧憬を高めさせた。
 
1970年代になると、ギリシア政府はイギリスにエルギン・マーブルの返還要求を強めた(その先頭に立った文化・科学相の[[メリナ・メルクーリ]]は、映画女優としても有名であるしかしながら、両国の見解はすれ違ったままである。
 
== 外部リンク==
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[[Category{{DEFAULTSORT:彫刻|えるきんまふる]]}}
[[Category:ギリシャの文化|えるきんまふる彫刻]]
[[Category:ギリシャの文化]]
 
 
[[de:Elgin Marbles]]