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'''呂翔'''('''りょ しょう''' 〔Lǚ Xiáng〕 生没年不詳)は、[[中国]]の[[後漢]]時代末期の武将。
'''呂翔'''(りょ しょう、生没年不詳)は、[[中国]]の[[後漢]]時代末期の武将。[[兗州]]東平郡出身。『[[後漢書]]』[[袁紹]]伝での名は「'''高翔'''」(後の蜀漢に同姓同名の武将がいるが、さすがに別人であろう)となっている。
 
[[兗州]]東平郡出身。『[[後漢書]]』[[袁紹]]伝での名は「'''高翔'''」(後の蜀漢に同姓同名の武将がいるが、さすがに別人であろう)となっている。
== 正史の事跡 ==
{| class="wikitable" style="float:right; font-size:smaller"
|-
! 姓名
| '''呂翔'''
|-
! 読み・ピンイン
| '''りょしょう'''〔Lǚ Xiáng〕
|-
! 時代
26 ⟶ 25行目:
| 大将
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! 爵位・号等
| 列侯
|-
! 陣営・所属等
! 主君
| [[袁尚]]→[[曹操]]
|-
35 ⟶ 34行目:
| 〔不詳〕
|}
袁紹の三男[[袁尚]]配下の大将で、[[呂曠]]も同僚の大将である。[[建安 (漢)|建安]]8年(203([[203]])8月、袁尚に従って、袁尚の兄・[[袁譚]]を平原に包囲する。追い詰められた袁譚は[[曹操]]に降伏し、同年10月に曹操は袁譚の救援に向かったため、袁尚は平原の包囲を解いた。ところが、呂曠と呂翔は袁尚に反逆して陽平に駐屯し、まもなく曹操に降伏して列侯に封じられた。その後、袁譚は、呂曠と呂翔に将軍の印綬を授けて懐柔しようとしたが、2人ともそれには全く乗らなかった。以後、2人とも史書には登場しない。
 
== 物語中の呂翔 ==