「ヘンリー・フォード」の版間の差分

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工業製品の製造における[[大量生産]]の方式を開発し、自動車が大衆に普及させるのに多大な貢献をなした。
 
[[カール・ベンツ]]が自動車の産みの親であるなら、自動車の育ての親は[[フォード・モーター|ヘンリー・フォード]]となる。[[フォード・モデルT|T型フォード]]は、世界で累計1500万台以上も生産された。この生産台数を可能にしたのは流れ作業による大量生産技術であり、これにより、販売価格を低く抑えながらも販売数量を拡大することにより企業利益を確保するという考え方を実現できるシステムを構築した。1908年の発売当時、富裕層相手の手作りの自動車が3000ドルから4000ドル、同クラスの他メーカーの自動車でも1000ドル近い価格であったのに対し、T型フォードは850ドルの低価格であった。この[[大量生産]]方式は他の工業生産にも応用され、20世紀の[[工業社会]]を可能にした。
 
因みに[[トーマス・アルヴァ・エジソン]]とは、友人であった。フォードは1967年、エジソンは1969年に、それぞれ[[自動車殿堂]]入りをしている。