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== 事跡 ==
=== 緑林軍の創始者 ===
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[[王莽]]の統治の末年に、王鳳は同郷の王匡と共に、地元の争議の調停役を務めていたが、衆に推されて2人で数百人の民衆の頭領となった。そこへ、[[馬武]]、[[王常 (後漢)|王常]]、[[成丹]]も加わり、離郷聚を攻撃した後、緑林山(江夏郡当陽県)に立て篭もった。その軍勢は、数ヶ月の間に7,8千人に膨らんだという。[[地皇]]2年([[21年]])、荊州牧が2万の軍勢を率いて緑林軍を討伐しにきたが、王匡、王鳳は雲杜(江夏郡)でこれを迎撃し、殲滅した。これをきっかけに、軍は5万人を超えたと称し、官軍も手を出せなくなった。
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