「玉海力剛」の版間の差分

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Takashieikou (会話 | 投稿記録)
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父親から「力士になれ」と言われ、中学校2年生の時に[[墨田区立両国中学校]]に転校して片男波部屋に住み込んで生活をした。[[1982年]]3月場所に初土俵を踏み、[[1989年]]9月場所に新[[十両]]、[[1991年]]秋場所に新入幕を果たす。「玉海力でなく“玉怪力”だ」と言われた怪力を活かして、右四つに組み左上手から構わず投げる相撲を得意としたが、十両までは力で通用したが[[幕内]]では厳しく定着できなかった。大相撲で初めて[[マウスピース (スポーツ)|マウスピース]]を使用するなど、研究熱心であることでも知られている。
 
[[1993年]]5月場所の千秋楽の相撲で右手親指を怪我骨折してから[[1994年]]7月場所後に親方の反対を押し切って手術するが失敗。その後体中が痺れて腕力落ちて[[序二段]]まで降格し、[[1996年]]3月場所をもって引退した。本人は引退相撲を希望したが親方の反対で断念し(断髪式は出来たが)、親方とはその件以来険悪な状態になった。引退後は実家近くの渋谷区[[広尾 (渋谷区)|広尾]]に「どすこい酒場 ちゃんこ玉海力」をオープンし、現在は[[武蔵小山]]と[[中国]][[山東省]]にも支店を出している。
 
[[2004年]]5月には[[格闘家]]に転向して、[[吉田秀彦]]を師と仰ぎ吉田道場でトレーニングを積み、大相撲時代の144kgから100kg台に体重を絞り込んだ。同月[[PRIDE]]参戦を果たすが、[[小路晃]]に1R18秒KO負けを喫する。[[2005年]]5月には[[パンクラス]]に入団、[[大飛翔誠志]]らと'''チーム玉海力'''を結成し注目を集めている。酒豪としても知られた。