「訳経史区分」の版間の差分

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例えばsamaadhiは「[[三昧]](さんまい)」、yojanaは「[[由旬]](ゆじゅん)」、sattvaは「[[衆生]]」と訳すのが、玄奘以前のほぼ定まった訳語であったが、玄奘はこれを改め、それぞれに「三摩地(さんまじ)」「踰闍那(ゆじゃな)」「有情(うじょう)」という新訳語を当てた。たしかに新訳語の方が[[サンスクリット語]]の発音や原意に忠実である。<br>
しかし、'''旧訳'''を誤りであるとか不完全であるとして排斥するのは早計である。初期の漢訳経典の多くは[[プラークリット]](俗語)や西域の諸語から訳出されたものであり、サンスクリットからの直接の漢訳ではなかったからである。旧訳を代表するのは、[[後秦]]の[[鳩摩羅什]](くまら じゅう)と[[陳 (南朝)|陳]]の[[真諦]](しんだい)である。とくに、鳩摩羅什の訳語・文体はそれ以前の訳とはっきり区別できるすぐれた特色をもっている。''[[維摩経]]''、''[[妙法蓮華経]]''、''[[金剛般若経]]''などには、いくつかの訳があるが、鳩摩羅什訳がもっとも名訳とされることが一般的であり、訳文は漢文としても名文の誉れが高い。また、真諦訳の''[[倶舎論]]''([[大正新脩大蔵経|大正]]No. 1559)は玄奘訳(大正No. 1558)よりも原典に忠実である。<br>
|大正]]No. 1559)は玄奘訳(大正No. 1558)よりも原典に忠実である。<br>
なお、訳経史上では、鳩摩羅什以前の訳を'''古訳'''(こやく)と言って旧訳から区別することがある。[[梁 (南朝)|梁]]の[[僧祐]]が『''[[出三蔵記集]]'' 』の中で[[西晋]]以前の訳語と鳩摩羅什以後の訳語の相違に注目しており、それにほぼ対応する。例えばbodhisattva([[菩薩]])の古訳語は「扶薩(ふさつ)」または「開士(かいじ)」であり、[[格義仏教]]で用いられた経典と、ほぼ一致している。古訳時代の代表的訳者は[[呉 (三国)|呉]]の[[支謙]](しけん)と西晋の[[竺法護]](じく ほうご)である。