「日活撮影所」の版間の差分

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1979年には第1から第4までのステージと本館、正門、日活銀座を含む北半分が売却、[[ライオンズマンション]]が建築された。このため、撮影所の面積は約半分となった。
 
過去も現在も、膨大な数の[[映画]]・[[テレビドラマ]]・[[CM]]がこの地で作られている。
 
===構成===
北半分にあった建造物は、1979年の用地売却で全てが消滅した。また、南端側の建造物も駐車スペースの増大などのため年々取り壊される傾向にある。
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このほか、 俳優センターや試写室など小規模な建造物が各所に点在している。
 
===沿革===
*1953年、日活が映画製作再開を発表・撮影所建設着工。
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*1993年、にっかつが会社更生法を申請、倒産。その後[[ナムコ]]の支援を受け、再建を開始する。
*1998年、撮影所内にデジタルスタジオが建設される。
*2000年2月、日活が、ナムコ創設者中村雅哉の個人会社である「株式会社マルへの調布撮影所の売却・3年以内の新撮影所の建設計画を発表する。
*2001年、[[横浜市]]の「新映像都市構想」と[[横浜みなとみらい21]]への日活撮影所移転計画が明らかになり、日活労働組合が反発。
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