「本朝文粋」の版間の差分

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玄史生 (会話 | 投稿記録)
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成立した年代については、明衡が文章博士や東宮博士の要職に就いた晩年期の[[康平]]年間ではないかと推定されている。すなわち本書編纂の為に多くの公文書の記述使用が覗い知れるからである。
 
原典の構成は、14巻・39部門に分類され文体は中国の『[[文選 (書物)|文選]]』に倣ったものであるが、日本独自の仏教関連の願文や、文章・和歌等もあり、わが国社会情勢に適したものに改めようとした意図が感じられる。[[四六駢儷文]]で表記されている。本邦初の文使用編纂書であり、公文書が多数含まれている事から故実典例として参考にされたが、[[江戸時代]]に至り駢儷文が否定されるようになると省みられなくなった。しかしながら平安期の時代思潮や美意識を知る上で貴重な史料であることには変わらない。
 
== 版本 ==