「シロバナムシヨケギク」の版間の差分

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一方、同じく19年に大阪の清水多三郎が除虫菊粉の取引をしていた関係上、神戸のモルフ商会から種子を取り寄せ、播種したが、わずかに観賞用にとどまった。
また、一方、除虫菊界の恩人とされる和歌山県の上山英一郎が種子交換によりアメリカから得た種子を19年播種、はじめは観賞用に栽培したが、のちその効果の大なるを聞き、おおいに採種し、諸県に種子をわかつ一方、製粉を試みた。
しかし当時まだ輸入品に圧倒されていたが、明治31年対米輸出を開始、その後世界大戦当時から世界的発展の地盤を築いた。
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