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'''藤原乙牟漏'''
父は[[藤原式家]]の[[藤原良継]]、母は尚侍兼尚蔵(就任時期不明)阿倍古美奈。山部親王の元に入内し、[[宝亀]]5年
[[天応 (日本)|天応]]元年
延暦5年
桓武天皇の周囲では788年(延暦7年)に[[夫人]][[藤原旅子]]、789年(同8年)皇太夫人[[高野新笠]](桓武の実母)、そして翌年に皇后乙牟漏が相次いで没している。また792年(同11年)皇太子安殿親王も病気となり、畿内に水害が起こるなど、凶事が続いた。これを[[早良親王]]の祟りであるとしてその霊をなだめる祀りを行わせ、日本の歴史上はじめて[[怨霊]]の観念が生まれることとなった。
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{{Japanese-history-stub|ふしわらのおとむろ}}
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[[category:藤原氏|おとむろ]]
[[Category:日本の皇后
[[category:飛鳥・奈良時代の皇族
[[Category:760年生
[[Category:790年没
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