「ジョゼフ・フランソワ・デュプレクス」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
SieBot (会話 | 投稿記録)
m ロボットによる 追加: fi:Joseph François Dupleix
Bankokuya (会話 | 投稿記録)
Link修正
2行目:
'''ジョゼフ・フランソワ・デュプレクス'''('''Joseph François Dupleix''', [[1697年]][[1月1日]] - [[1763年]][[11月10日]])はフランス領インド総督。1715年にインドに渡り、インド生まれの女性と結婚してインド事情によく通じた。[[オーストリア継承戦争]]([[カーナティック戦争|第一次カーナティック戦争]])で活躍した。
 
1697年[[フランス]]北部ランドルシーの商人の家に生まれた。父の勧めで[[カナダ]]や[[インド]]に旅行し、1720年[[ポンディシェリ]]の[[フランス東インド会社]]に入った。1730年[[ベンガル地方|ベンガル]]のシャンデルナゴル長官に抜擢され、1742年にはその才能を認められてフランス領インド総督に任命された。デュプレクスはフランス士官によってインド人歩兵にヨーロッパ式の操銃訓練を施し、騎馬戦中心のインド諸侯との戦闘で大きな威力を発揮した。これによってインド諸侯間の争いに介入し、多くの諸侯を傘下に収めた。インドでは1744年に始まったオーストリア継承戦争ではライバル関係にある[[イギリス東インド会社]]に対して優勢な戦いを進め、英領[[チェンナイ|マドラス]]を占領したが、1748年本国で和平が成立した。インドにおける戦いは第一次カーナティック戦争(1744年~1748年)と呼ばれる。戦後もハイデラバード王国の争いに介入しているが、本国と意見が合わず、1754年インドでの出費を嫌う本国政府に解雇され、1763年パリで貧窮のうちに亡くなった。
 
[[Category:フランス史の人物|てゆふれくす しよせふふらんそわ]]