「ヘンリー・リーランド」の版間の差分

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白文鳥 (会話 | 投稿記録)
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リーランドは[[1909年]]にキャディラックを[[ゼネラルモーターズ]](GM)に450万ドルで売却したものの、[[第一次世界大戦]]期までキャディラックの責任者としての役割を果たす。[[1917年]]、リーランドは航空エンジン生産の是非をめぐってGM首脳と対立して辞職、新たに[[リンカーン・モーター・カンパニー]]を立ち上げる。リーランドは南北戦争に志願した時と変わらず愛国者であり、GMが戦いを支援しないことに我慢がならなかった。そうしてリンカーン社は戦時中、航空エンジン「[[リバティ・エンジン]]」の生産をおこなう。部下はリーランドの名前をつけることを要望していたが、リーランド自身はこのときもそれを断っていた。
 
戦争が終わると高級車を生産した。しかし、第一次世界大戦後は不況の影響もあり、高級車の時代ではなくなった。質の高い大型車だったが、市場は変わっていた。リンカーン社は経営破たんし[[1922年]]にはオークションにより[[フォード・モーター]]に買収される。自動車産業界の歴史の中においても破格の安値だったといわれている。技術者であるリーランドは、フォードの元で、総支配人として残った。フォードもリーランドの高度な職人芸を維持した。以降は、フォード・モーターの高級車ブランド名として存続しその名を現在に伝えている。
 
リーランドは、1932年に89才で亡くなっている。