「吾妻ひな子」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
Ajcxx (会話 | 投稿記録)
編集の要約なし
2行目:
 
== 来歴 ==
[[1940年]]頃、父である浅田家日佐治([[浅田家日佐丸]]([[平和ラッパ・日佐丸|平和ラッパ]]の兄)とも)門下で小日奈を名乗り17歳で[[和歌山県]][[有楽座]]で初舞台。その後ミスワカナ([[ミスワカナ・玉松一郎]])のところにおり、一時期室町京子と名乗って歌手として活動したこともある。
 
その後漫才に復帰して吾妻ひな子と名乗り、[[浮世亭夢丸]]や浮世亭夢若亡き後の松鶴家光晴([[松鶴家光晴・浮世亭夢若]])らとコンビを組んだ。
 
[[1964年]]頃から[[三味線]]を手に一人高座に転向。甘えたような語り口でカマトトを売りとし、世相を風刺した話芸で人気者となる。