「ニコロ・パガニーニ」の版間の差分

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作曲家としても活躍しヴァイオリン曲を残したが、極めて速いパッセージの[[ダブルストップ]]・左手の[[ピチカート]]・[[フラジオレット|フラジョレット]]奏法など、どれも高度な技術を必要とする難曲として知られている。パガニーニ自身は技術が他人に知られるのを好まなかったため、生前はほとんど自作を出版せず自分で楽譜の管理をしていた。
===== 作品への態度 =====
その徹底ぶりは凄まじいもので、自らの演奏会の伴奏を担当する[[オーケストラ]]にすらパート譜を配るのは演奏会の数日前(時には数時間前)で、演奏会までの数日間練習させて本番で伴奏を弾かせた後、配ったパート譜はすべて回収したというほどである。しかも、オーケストラの練習ではパガニーニ自身はソロを弾かなかったため、楽団員ですら本番に初めてパガニーニ本人の弾くソロ・パートを聞くことができたという。
 
このようにパガニーニ自身が楽譜を一切外に公開しなかったことに加えて、パガニーニの死後、遺族が遺品である楽譜のほとんどを処分してしまったため、楽譜が散逸してしまいほとんどの作品は廃絶してしまった。現在では、無伴奏のための24の奇想曲や6曲の[[ヴァイオリン協奏曲]]などが残されている(第3番~第6番が見つかったのは20世紀に入ってからである)。また、同じ理由から弟子を[[カミッロ・シヴォリ]]一人しかとらず、そのシヴォリにも自分の持つ技術を十分には伝えなかったため、演奏の流派としてはパガニーニ一代で途絶えることとなってしまった。