「笑福亭松鶴 (6代目)」の版間の差分

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== 東京とのつながり ==
 
 
東京の落語家とも親交を持ち、東京でも「六代目」と呼ばれた。特に[[柳家小さん (5代目)|5代目柳家小さん]]と[[三笑亭夢楽]]とは同じ世代でもあり無二の親友であった。松鶴自身東京の若手をもよく可愛がり、[[立川談志|7代目立川談志]]と[[古今亭志ん朝|3代目古今亭志ん朝]]は松鶴に心酔した。弟子の鶴光が東京の芸術協会に移籍した時、周りの芸人たちが「六代目の師匠にはかわいがってもらいましたから」と手厚く扱ってくれ、改めて師匠の偉大さに気付いた。
 
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==笑福亭松鶴一門==
弟子に関しては「来る者拒まず、去る者追わず」の精神で多くの弟子を受け入れたが廃業した者も多い。
*[[笑福亭仁鶴 (3代目)|笑福亭仁鶴]]
*[[笑福亭枝鶴 (5代目)|5代目笑福亭枝鶴]] (6代目松鶴の長男。1987年に父の一周忌興行でトリを務める予定だったが無断で休演したため、事務所から解雇の上、廃業扱いとされた)
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*[[笑福亭福輔]]
*[[笑福亭鶴二]]
*鶴司([[1970年]]に入門、[[1972年]]に廃業)
*手遊([[1971年]]10月に入門、中学生で初高座、高校生になる頃に廃業。鶴瓶のエピソードでよく出てくる)
*松橋([[1972年]]8月に入門、[[1979年]]4月に同門の雛鶴と結婚し廃業)
*[[笑福亭里鶴|璃鶴]](1972年に入門、後に廃業)
*一鶴([[1973年]]10月に入門、タレントとして活動したが[[1977年]]3月に廃業)
*[[笑福亭松竹|松竹]]([[1974年]]3月に入門、[[1978年]]3月に廃業)
*遊鶴(1974年4月に入門、後に廃業)
*幸鶴([[1976年]]1月に入門、後に廃業、女性)
*雛鶴(幸鶴と一緒に入門、1979年4月に同門の松橋と結婚し廃業、女性)
*小遊(廃業)
*千羽([[1974年]]1月に入門、後に廃業、女性)
*朝一(元東京の[[古今亭志ん朝]]の門下だったが、関西訛りがあった為松鶴の預かり弟子になるも[[1978年]]に廃業)
*[[林家花丸|花丸]]
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通常惣領弟子の仁鶴を筆頭に呂鶴までが一門の幹部と認識されるが、鶴光・福笑は一門の会合には滅多に顔を出さない。仁鶴は[[吉本興業]]所属。福笑はフリー。後の殆どは松竹芸能所属である。