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1994年[[リレハンメルオリンピック|リレハンメル五輪]]に18歳で出場し、男子1000mで4位入賞を果たす。以後、1998年[[長野オリンピック|長野]]、2002年[[ソルトレークシティオリンピック|ソルトレークシティー]]、2006年[[トリノオリンピック|トリノ]]と、計4度の[[冬季オリンピック]]に出場。10年以上にわたって、日本のショートトラック界を牽引している。
 
==ソルトレイクシティオリンピックでの誤審==
[[2002年]]のソルトレイクシティオリンピックの男子1000mで寺尾は予選、準々決勝を通過して準決勝へ進出した。準決勝レースは前回長野の同種目の金メダリストである[[韓国]]の[[金東聖]]と同じく長野の同種目の銀メダリスト[[中国]]の[[李佳軍]]が先頭争いを展開。しかし、ファイナルラップの最終コーナーで3番手だった[[カナダ]]の[[マシュー・ターコット]]が先頭2人を巻き込んで転倒。巻き込まれなかった寺尾はガッツポーズし、悠々とゴールした。寺尾の決勝進出は確実と思われたが、このレースの審議の結果、なんと全く接触に関係のなかった寺尾が、ターコットを後ろから押して転倒させ、李を巻き込んで転倒させた原因として、まさかの失格となった。接触直前の映像を見る限り、寺尾とターコットとの間には完全に空きスペースがあり、寺尾は前の選手に触れてもいなかった。しかし、当時のショートトラックの審判判定にはビデオ判定が導入されていなかった為、このような事態が起きてしまった。日本チームの抗議も却下され、結局判定は覆らず、ターコットと李が救済措置によって決勝へ進出となり、寺尾は審判の誤審によって不可解な失格となった。この誤審が起こった事により、日本は[[国際スケート連盟]]にルール改正を求める文章を提出した。その後、次のトリノオリンピックではルールも改正し、ビデオ判定も導入されている。ちなみにこのレースで寺尾についで2着でゴールしたのはこの後の男子1000mの決勝で大波乱のレースを制した、[[オーストラリア]]の[[スティーブン・ブラッドバリー]]だった。
 
==外部リンク==